第160章 アルゴリズムによる思考の代理化 ― 誤る自由の喪失
朝霧がまだ残る。講堂の外では水車の音が静かに響き、
軒先に吊るされた風鈴が、かすかな音を立てた。
生徒たちは湯気の立つ麦茶を手に、机の上に置かれた古い端末を見つめている。
Ω教授が、それを覆う麻布をゆっくりと外した。
「これが、21世紀の人間が“思考を委ねた”機械です。
名前は……AI。」
ざわめきが走る。
端末の表面には、ひび割れたディスプレイ。電源を入れると、淡い光が灯り、
古びたインターフェイスが立ち上がる。
教授は指で小さく文字を打ち込んだ。
> 「幸福とは何ですか?」
数秒の後、画面には文章が流れ出した。
──「幸福とは、あなたが持つものを受け入れ、
今ある瞬間を肯定することです。」
それは、完璧すぎる答えだった。
まるで磨かれたガラスのように、どこにもひっかかりがない。
教授はその光を見つめながら言った。
「美しいでしょう? しかし、ここには“誰の痛み”もない。
――これが“思考の代理化”の問題です。」
1. 思考がサービスになる瞬間
「人間は、考えることを恐れるようになった。
なぜなら、考えるには時間がかかり、誤る可能性があるからだ。
AIは、その負担を取り除いた。
悩みも、選択も、迷いも、“アルゴリズム”という名の手に委ねたのです。」
教授は黒板に二つの円を描く。
ひとつは「人間の思考」。もうひとつは「AIの演算」。
それを線でつなぎながら、言葉を続けた。
「思考が“外部化”されたとき、人間は結果だけを受け取る存在になった。
そして結果は、必ず“正しさ”として提示される。
誤ることがなくなったとき――知性は進化を止めるのです。」
2. 誤る権利と自由
教授は机の端に置かれた古い書物を開いた。
それはアリストテレスの倫理学の複写だった。
「善とは選択のなかにあり、選択には迷いが必要だ」
と書かれている。
「――誤りとは、知性の免疫です。
誤りを経て初めて、知性は“修正する”という行為を学ぶ。
だがアルゴリズムは、最初から最適解を与えてしまう。
結果、学ぶという営みそのものが消える。」
学生の一人が手を挙げる。
「でも先生、それでもAIの答えのほうが正しいなら、
人間が考える必要は……?」
教授は静かに笑った。
「そう、それが“最大の罠”です。
正しいことと、理解していることは、まったく違う。
AIは“正答”をくれるが、
“考える苦しみ”をくれはしない。」
3. 思考の快楽と恐怖
教授は指で机を軽く叩きながら続けた。
「思考とは、摩擦です。
自分と世界がぶつかる場所。
だから痛みがあり、だからこそ“自分で考えた”という実感が生まれる。
けれど21世紀の文明は、この摩擦を“快適さ”の名で排除した。
それが“思考の退化”です。」
講堂の外では、雨上がりの光が差している。
木々の葉から落ちる雫が、ゆっくりと地面を打つ。
Ω教授は、その音に耳を澄ませながら言った。
「アルゴリズムは、世界を“滑らか”にしました。
けれど、滑らかすぎる世界では、
人間の知性は“引っかかる場所”を失ってしまう。」
4. 黒板に残された言葉
講義の終わりに、教授はチョークを取って黒板に一文を書いた。
「誤りは、知性の呼吸である。」
そして続けた。
「AIが“誤りを恐れないように”設計されているのなら、
人間は“誤りを愛するように”進化しなければならない。
考えるとは、正しくあることではなく、
自分の限界を意識して揺らぐことだからです。」
生徒たちは静かに頷いた。
机の上のAI端末は、再び黒い画面に戻っていた。
ランプの火がわずかに揺れ、
講堂にひとときの沈黙が訪れた。
Ω教授は最後に言った。
「――知性とは、誤りと共に生きる装置です。
誤らない文明は、やがて考えなくなる。
そして考えない文明は、静かに死んでいく。」