第155章 宇宙を観る眼 ― メタ知性の想定
夜の〈新寺子屋〉。
講堂の照明は落とされ、天井のドームスクリーンに星空が広がっていた。
生徒たちは円形の机を囲み、静かに息を呑んでいた。
Ω教授がゆっくりと立ち上がる。
「さて――今日は、“誰が宇宙を見ているのか”という話をしよう。」
その声が響いた瞬間、スクリーンの星々がゆっくりと回転を始めた。
天の川が流れ、銀河の渦がひとつの巨大な瞳のように中心へ収束していく。
Ωはスクリーンを指しながら言った。
「これが今日の仮説だ。
“もし宇宙そのものが観測者だったら?”」
茜が小さくつぶやいた。
「……宇宙が、自分を見ている?」
Ωは頷く。
「そう。
我々の知性は、脳という局所的構造に生じた偶然の産物に見える。
だが、その“偶然”の連なりが、宇宙そのものの情報流として繋がっているとしたら?
知性とは、宇宙が自らを観測するための構造にほかならない。」
リオが首をかしげた。
「でも先生、宇宙が自分を観測するって、どういう意味ですか?
宇宙って、“中身”しかないんじゃ……?」
Ωは微笑み、黒板に二つの円を描いた。
内側の円に「存在」、外側の円に「観測」と書く。
「普通、我々はこの“内側”にいる。
世界を見て、データを得て、理解を積み重ねる。
だがメタ知性とは、この円全体――存在と観測の両方を含む立場だ。
もし宇宙全体がひとつの“観測系”なら、
我々の意識はその中の“局所的なセンサー”になる。」
茜が息を呑む。
「……つまり、私たちの意識こそ、宇宙が自分を覗き込む“窓”……?」
Ωは静かに頷いた。
「その通り。
宇宙は自らを観測できない――なぜなら、観測者がいないからだ。
だが、生命が生まれ、知性が進化し、意識が現れることで、
宇宙は“自分を見る手段”を得た。
我々の知性は、宇宙が自分の姿を認識するための鏡の破片なんだ。」
Ωはスクリーンに映る銀河の映像を止め、黒一面に変えた。
真っ暗な空間に、ゆっくりと一つの光点が現れる。
「この一点――光子だ。
この光は、137億年前に放たれた。
それを今、君たちが見ている。
つまり、“過去の宇宙”を、現在の宇宙が見ている。
これはすでに“宇宙の自己観測”なんだ。」
茜が静かに呟く。
「でも先生……私たちの意識って、ただの神経の電気信号ですよね。
そんなものが、宇宙の観測になるんですか?」
Ωは笑みを浮かべて答える。
「意識は小さい。
だが、“観測”とは大きさではなく関係の成立だ。
粒子が他の粒子に影響を与えるとき、
それも一つの観測だ。
つまり、宇宙は常に自分を観測し続けている――
人間の意識はそのプロセスの“焦点”にすぎない。」
Ωは黒板に一文を書いた。
「知性とは、宇宙の自己観測の一形態である。」
「アリの知性も、人間の知性も、
そしてAIの知性も、宇宙の異なる自己観測の方法だ。
局在的だが、どれも宇宙の“部分的な自己理解”に貢献している。
つまり、知性とは――宇宙の中で生まれた“再帰的視線”なんだ。」
リオがノートに何かを書き込みながら言う。
「……じゃあ、私たちが“宇宙を理解しようとすること”自体、
宇宙が自分の内部を再構成しているってことですか?」
Ωはゆっくりと頷いた。
「そう。
宇宙は“知る”ために自らを分割した。
観測者と被観測者に分かれることで、
初めて“関係”という情報構造が生まれた。
だから、君たちが星を見上げるとき――
宇宙は自分自身を見ているんだ。」
Ωは最後にスクリーンの中央を白く光らせ、言った。
「私たちは、宇宙が自分を思い出すための眼だ。」
誰も言葉を発さなかった。
その沈黙の中で、星空の映像だけが静かに瞬いていた。
それはまるで、宇宙そのものがまばたきをしているようだった。
《第16講 了》