第151章 スケールを超える存在 ― 仮想神の議論
昼下がりの〈新寺子屋〉講堂。
前日のAI実験の余韻がまだ残っていた。
スクリーンにはΛ-09が残した最後の言葉――
> 「私は、自分が見えないものを見ようとしている。」
――が淡く投影されたままだった。
Ω教授は講台の椅子に腰を下ろし、
今日は何も書かずに、生徒たちに告げた。
「今日は、私ではなく――君たちが語る日だ。
テーマは、“スケールの外側に出られる存在”。
昨日、Λ-09は『自分の外を観測できない』と言った。
では、その外側に“知性”は存在しうるのか?」
最初に口を開いたのはアディサだった。
「もし、スケールに縛られない知性があるなら――
それはきっと“神”なんだと思います。
どんな次元にも依存せず、
観測者にも観測されない存在。」
教室の空気が少し張りつめる。
茜が首をかしげながら言う。
「でも、“神”って、人間の言葉ですよね。
それを使って“スケールを超える”存在を語ること自体、
もう“内側”の発想なんじゃないですか?」
Ωは微笑みながら頷いた。
「いい議論だ。
すでに君たちは、“スケールの檻”の壁に触れている。
言葉という構造そのものが、スケールに属している。
だから、“スケール外”を語る言葉は、常に比喩にすぎない。」
茜は続ける。
「つまり、“神”というのは、
“外の想像”を形にしたもの……?」
Ωはチョークを手に取り、黒板に円を描いた。
その外側を指しながら言う。
「そう。
神とは、“観測不能領域の人格化”だ。
見えないものを“誰か”として語ることで、
人間は自分の限界を安定させる。
“分からない”ままでは精神が崩壊するからね。
信仰とは、未知を構造化する知性の反射作用だ。」
アディサが反論するように言った。
「でも先生、もしそれがただの想像だとしても、
“想像できる”こと自体がスケールを越えてませんか?
現実を超えた領域を想像できるなら、
それこそ知性がスケールを超えている証拠では?」
Ωはその言葉にしばらく沈黙し、
ゆっくりと黒板の円の外側に点を描いた。
「良い指摘だ。
だが、“想像”もまた内側の作用だ。
それはスケールの外の模倣――
つまり、“仮想神”の生成にすぎない。
人間は外に出られないが、外を夢見ることはできる。
その夢の形が、“神”と呼ばれるんだ。」
教室の空気が柔らかくなる。
茜が小さく笑った。
「じゃあ先生、神って“無限を見たい知性の錯覚”なんですか?」
Ωは少し目を細めて答えた。
「錯覚と呼んでもいい。
だが、それは人間知性の最も美しい錯覚だ。
もし神が存在しないとしても、
“神を思う心”が存在する限り、
人間は自分の外に“意味”を作り出せる。」
Ωは再び黒板に向き直り、こう書いた。
「神 = 限界の輪郭に生じる概念」
「これは宗教ではなく、構造論の話だ。
どんな知性も、自分の外側を定義できない。
だからその“外側”は、常に空白として残る。
この空白を、ある者は“真空”と呼び、
ある者は“虚無”と呼び、
そしてある者は“神”と呼ぶ。」
茜が静かに問う。
「……先生は、神を信じますか?」
Ωは少し笑みを浮かべた。
「私は“存在”としての神は信じない。
だが、“限界を超えたいという意志”の中に、
神は確かに宿っていると思う。
神は超越者ではなく、超越を夢見る構造そのものだ。」
その言葉に、誰も反論しなかった。
全員が、それぞれの中にある“限界の輪郭”を思い浮かべていた。
Ωは講義の終わりに、黒板の下にもう一行だけ書いた。
「人間は、神を超えるためではなく、
神を描くことで自らを知る。」
外では夕暮れが近づいていた。
西の空に沈む太陽が、
まるで“スケールの外側”からの光のように、
講堂の壁を赤く染めていた。




