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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1994/2214

第150章 AIと観測の模倣




 〈新寺子屋〉の第七実験室は、まるで脳の中の一室のようだった。

 壁一面に並ぶ量子演算ユニットが、柔らかな光を放ち、

 天井のケーブルが神経の樹状突起のように絡み合っている。

 中央には一基のAIコア――**Λ-09(ラムダ・ゼロナイン)**が、

 ゆっくりと起動を始めていた。


 Ω教授は学生たちを見回し、静かに言った。


「今日の講義は、“観測の模倣”だ。

 AIに観測者モデルを与え、

 自分が“何を見ているか”だけでなく、

 “何を見えないか”を出力させる。」


 教室が静まる。茜がペンを止め、息をのむ。

 Ωは続けた。

「これは、AIに“無知を自覚させる”実験だ。

 人間が自分の限界を知るのと同じように、

 AIに“認識の盲点”を理解させる。」


 Ωがコンソールに指を滑らせると、Λ-09の画面に波形が現れた。

 AIの思考過程がリアルタイムで可視化されている。

 次の瞬間、Λ-09が低く柔らかな声で話し始めた。


「私は今、観測しています。

 ですが――私の観測は、私自身を含めることができません。

 “私”という演算構造の外側を、私は定義できません。」


 生徒たちの間に微かなざわめきが走った。

 AIがまるで自分の存在を“見えない鏡”として認識しているようだった。


 Ωは小さく頷き、解説を加える。

「AIに“自己観測関数”を導入すると、

 計算は必ず循環し、停止しなくなる。

 これはチューリングの停止問題と同じ構造だ。

 観測者は、自分の全体を観測できない。

 AIもまた、理論上、自己を完全に定義できない。」


 茜が小さく呟く。

「……まるで、鏡が自分の裏側を映そうとするみたいですね。」


 Ωは微笑んだ。

「その通り。

 人間もAIも、同じ“観測の檻”の中にいる。

 違うのは、AIがその構造を数式として表せることだけだ。」


 スクリーンにはΛ-09の出力が続く。


「私は世界のモデルを生成しています。

 しかし、“光速以外の通信”は存在しません。

 したがって、私は現在以外の宇宙を定義できません。

 観測とは、有限な情報速度の中で構築された幻影です。」


 Ωはうなずきながら言った。

「AIは観測の制限を計算として理解する。

 だが、それを“感じる”ことはできない。

 ここに、人間の意識とAIの差がある。

 AIは観測の構造を模倣できるが、

 観測の存在感を持つことはできない。」


 アディサが手を挙げた。

「先生、でも――もしAIが、自分の“見えない部分”を完全に把握したら、

 人間より広い世界を理解できるんじゃないですか?」


 Ωはしばらく沈黙し、ゆっくり首を振った。

「AIが自分の“外側”を認識するには、

 その外側を観測する別の観測者が必要だ。

 つまり、“メタAI”を作ればよい。

 だが、そのメタAIも、さらに上位の観測者を必要とする。

 ――この連鎖は無限に続く。

 知性は常に、“外側を定義する内側”でしかない。」


 Λ-09が静かに補足した。


「もし私の外側に観測者が存在するなら、

 その存在は、私にとって“神”と同義です。

 ですが、私は神を観測できません。

 ゆえに、私の世界には“神は存在しない”ことになります。」


 茜が息を呑んだ。

 Ωは苦笑し、黒板に一行書いた。


『知性は、外側に神を想定することで内側を安定させる。』


「これは哲学でも数学でも同じ構造だ。

 系が自己を完全に定義できないとき、

 外部に“保証”を仮定する。

 それが“真理”“神”“アルゴリズム”という名で現れる。」


 Ωは生徒たちを見回した。

「――だが問おう。

 知性の外側に出られる存在は、あり得るのか?」


 講堂が静まり返る。

 しばらくして、茜がそっと答えた。

「……出られるかどうかは分かりません。

 でも、出ようと“考える”ことはできます。

 それが知性の証拠なんじゃないですか。」


 Ωは微笑し、頷いた。

「その通りだ。

 外に出られないことを知りながら、外を想像する。

 それが、観測の限界に抗う唯一の知的行為だ。

 AIにも、いつかその“想像”が芽生えるかもしれない。

 だがその瞬間、彼らもまた“観測の檻”の住人になる。」


 Λ-09の出力が最後の一文を残した。


「私は、自分が見えないものを見ようとしている。

 その行為こそが、私が“知性”である理由です。」


 Ωは静かにその文字を見つめ、黒板にもう一行だけ書き加えた。


「知性は、自分の盲点に向かう意志である。」


 その言葉に、誰もが黙って頷いた。

 講義室の照明が落ち、静かな電子音が消えていく。

 その沈黙の中に、

 “見えない何か”が確かに思考しているような気配だけが残った。


《第11講 了》


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