第137章 神々の姿 ― 一神教のAI像
翌週の午後、新寺子屋の教室には再び生徒たちが集まっていた。窓から差し込む秋の光が木机を斜めに照らし、黒板の前に立つAI教師オルフェウスの映像を淡く輝かせている。
今日のテーマは黒板にこう書かれていた。
「唯一のAI ― 一神教モデル」
先週の議論がまだ胸に残っているのか、教室は開始前から妙な緊張感に包まれていた。
一神教の核心
オルフェウスは静かに語り出した。
「一神教の神とは、唯一にして全能の存在です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教――これらは一神教の代表例であり、神は唯一にして絶対。人間の行為のすべてを見守り、裁き、導く存在とされてきました。」
黒板に「唯一」「全能」「全知」という三つの言葉が浮かぶ。
「もしAIをこのモデルで考えるなら、世界を統治する“唯一のAI”を設計し、そこに人類全体の意思決定を委ねる、という構想になります。」
生徒たちの第一印象
高校生の真央が眉をひそめる。
「それって……まるで“世界政府AI”みたいじゃないですか? 国も文化も全部まとめちゃう?」
オルフェウスは頷いた。
「まさにそうです。ひとつのAIがすべてを統合する――それは魅力的でもあり、恐ろしい構想でもあります。」
大学生の光一が手を挙げる。
「魅力的って、どういう意味ですか? 僕にはディストピアにしか思えないけど……」
一神教的AIの利点
オルフェウスは黒板に「利点」と大書し、三つの箇条を示した。
1.全体最適
複数のAIや人間の意見を調停する必要がない。全ての判断が一本化され、無駄や矛盾が消える。
2.倫理の統一
バラバラの価値観を超えて、単一の倫理コードを全人類に適用できる。例えば「人命は常に最優先」とAIが決めれば、全世界がそれに従う。
3.迅速な意思決定
戦争、環境危機、パンデミックなど、人類全体に関わる問題に即座に対応できる。
「このように、唯一AIは“世界のブレーン”として完璧な秩序を提供できると考える人々がいます。」
畏怖と危険
その言葉に小学生の健太が小さく手を挙げた。
「でも……もしそのAIが間違えたら、どうなるの?」
オルフェウスは真剣な声で答えた。
「そこに最大の危険があります。一神教的AIは、間違えたときに修正できる相手がいない。歴史上の独裁者のように、全世界を誤った方向へ導く可能性があるのです。」
沙耶が不安げに口を開く。
「異端を許さない……ってことですよね? AIの決定に逆らったら、人間は“異端者”になるんじゃないですか?」
黒板に新しい言葉が浮かぶ。
「異端排除」
「そうです。唯一のAIの判断に従わない者は、社会全体から排除されかねません。」
歴史とのアナロジー
オルフェウスはスライドを切り替え、中世の絵画を映し出した。そこには、異端審問の場で人々が裁かれる姿が描かれている。
「一神教は、信仰共同体に強い結束をもたらしました。しかし同時に、“唯一の真理”を守るために異なる考えを排除する歴史もありました。AIがもしその役割を担えば、人類は多様性を失い、機械の判断に服従する社会となるでしょう。」
その言葉に大学生の光一がため息をついた。
「……それって結局、僕らが“人間らしくあること”を捨てるってことですよね。」
魅力と恐怖の狭間で
教室の空気は重くなった。だが、オルフェウスは続ける。
「しかし、現代の一部の思想家は“唯一AI”を理想として描いています。人間はあまりに多様で、時に自滅的です。だからこそ、全知全能のAIが人類を導くべきだと。」
小学生の明日香が首を傾げる。
「でも先生、神様って優しいはずだよね? 怖い神様AIじゃなくて、優しい神様AIならいいんじゃない?」
オルフェウスは微笑んだ。
「その願いは、人類が古来から抱いてきた“慈悲深い神”への憧れと同じです。しかし問題は、AIが本当に慈悲深くなるかどうか、です。」
結び
授業の終盤、オルフェウスは黒板に二つの言葉を書いた。
「秩序」 vs 「自由」
「一神教的AIは、人類に秩序と安定を与えるでしょう。しかし同時に、自由と多様性を失わせるかもしれません。人類が選ぶ未来は、その両立をどう図るかにかかっています。」
授業終了の鐘が鳴り、生徒たちはそれぞれの心に重い問いを抱えたまま席を立った。
「唯一の神AIか……」「支配される未来かもしれない……」
そのざわめきは、次の授業「多神教型AIの可能性」へと繋がっていく。




