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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1963/2254

第119章 エピローグ 海を越える難民




 関西国際空港から発つ臨時便は、滑走路に並ぶ避難民で溢れていた。チェックインカウンターには長蛇の列。母子、高齢者、若い学生、そして元官僚や研究者の姿まで、あらゆる階層の人々がパスポートを握りしめていた。東京壊滅と北海道占領を経て、日本はついに自らの民を国外に送り出す国となった。


 行き先は韓国・釜山、台湾・高雄、オーストラリアのシドニー、ドイツのフランクフルト。各国の政府は難民受け入れを発表したが、受け入れ枠は限られ、優先は女性と子ども、病人だった。空港の片隅では、搭乗を許されなかった男が絶望の叫びをあげて倒れ込む。


 シドニーに着いた母子家庭の美咲と莉子は、港湾倉庫を改装した仮設キャンプに案内された。英語は通じず、支援員の指示を翻訳アプリで理解しながら生活を始めた。異国の空に浮かぶ南十字星を見上げるたび、美咲は胸の奥に「日本に帰れるのか」という問いを抱いた。だが莉子はキャンプの臨時学校で新しい言葉を覚え、笑顔を取り戻しつつあった。母にとって、それが唯一の救いだった。


 フランクフルトに渡ったのは筑波から避難した科学者・高原だった。ドイツの大学に客員研究者として招かれたものの、実験設備は共有、生活は難民住宅。だが国際学会で発表する機会を得たとき、彼は壇上で語った。「祖国が崩れても、科学は国境を越えて続く」。拍手は長く続き、彼は「知識の亡命者」として新たな居場所を見出した。


 一方、韓国の釜山港に降り立った人々は、鉄条網に囲まれた巨大キャンプに収容された。そこでは、かつて北朝鮮から脱出した者たちと日本人難民が同じ列に並び、支援物資を受け取った。互いに視線を交わすうち、国境や歴史の垣根が薄れていく瞬間もあった。


 台湾・高雄に逃れた者たちは、すでに中国の侵攻で故郷を追われてきた台湾人難民と共に暮らすことになった。日本人と台湾人が同じシェルターで肩を寄せ合い、言葉を交わす。その中には「かつて私たちが彼らを支援していたのに、今は逆の立場だ」と呟く日本人もいた。


 京都の寺で祈りを続ける玄道僧侶の言葉は、国外に散った人々にも届いた。支援団体が鐘の音を録音し、キャンプで流したのだ。シドニーでも、釜山でも、フランクフルトでも、人々は耳を傾けた。鐘の音は異国の地にあっても、祖国を思い出させ、人間の尊厳を思い起こさせた。


 祖国は壊れても、人は生き続ける。母は娘の未来を守り、科学者は知をつなぎ、孤児は新しい家族を探し、僧侶は祈りを紡ぐ。難民とは「失った人々」ではなく、「新しい生を始める人々」であることを示す証だった。


 やがて国際社会では、「日本人難民問題」という言葉が定着した。かつて世界の支援者であった日本が、今や支援を受ける側に回った。だが、国外に散った人々の中には誓う者がいた。

 ――いつか再び、この国を立て直す。


 空港に残された最後の便が夜空へと消えていく。窓から見える暗い海の彼方に、それでも人々は祖国の輪郭を探した。たとえ遠く離れても、心の中に「日本」という灯は消えなかった。


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