第117章 子ども(孤児・東京→秋田)
十歳の少年・中村亮は、東京の瓦礫の中で救助されたとき、すでに両親の姿を失っていた。父は霞ヶ関で働いており、原爆の閃光と衝撃波に呑まれた。母はその後の混乱で行方不明。保護された亮は「孤児」として登録され、数百人の子どもたちとともに秋田の疎開先に送られた。
秋田の旧校舎を利用した疎開施設は、木造の廊下が軋み、窓からは稲穂が広がる田園が見えた。東京のコンクリートの街とはまるで別世界だった。亮は配られた古びたランドセルを背負い、毎朝集団で臨時学級に通った。そこでは、地元の先生と避難民教師が交代で授業を行った。
だが、心は晴れなかった。夜になると布団の中で、父と母の声を思い出し、涙をこらえた。施設の子どもたちも皆、同じように家族を失っていたが、それぞれの悲しみは言葉にできず、時に小さな喧嘩となって噴き出した。
ある日、施設に秋田県の職員がやってきて、子どもたちに告げた。「養子縁組を希望する家庭があります。新しい家で暮らしたい子は申し出てください」。ざわめきが走った。亮も胸がざわついた。だが同時に、父母を裏切るような気がして、手を挙げられなかった。
翌週、亮を「引き取りたい」と申し出た夫婦が施設を訪れた。農家の夫婦で、子どもに恵まれなかったという。優しい笑顔で「うちに来ないか」と声をかけられたが、亮は首を振った。母が戻ってくるかもしれない――そのわずかな望みを手放すことができなかった。
施設の先生は亮の肩に手を置いた。「無理に決めなくていい。でも、ここでの生活も大事だよ」。亮はうなずいたが、胸の奥の孤独は消えなかった。
秋が深まり、田んぼの稲刈りを手伝う日があった。泥に足を取られながら鎌を動かすと、地元の少年が「上手いじゃん!」と声をかけてくれた。亮は思わず笑った。その瞬間、東京で失ったものとは違う、小さなつながりが胸に芽生えた。
冬、雪が降り始めると、子どもたちは校庭で雪合戦をした。冷たい雪玉を投げ合いながら、亮は笑い声をあげた。母の記憶はまだ胸を締め付けるが、ここにも「生きる時間」があるのだと感じ始めた。
年末、施設で開かれた小さなクリスマス会。亮は、農家の夫婦から手編みの手袋をもらった。「寒いだろうから」。その温もりを握りしめながら、亮は少しだけ思った――もし母が戻らなかったら、この人たちのもとで暮らすのも悪くないかもしれない、と。
孤児となった現実は変わらない。だが、亮は知った。失われた家族を忘れるのではなく、心に抱き続けながら、新しいつながりを選ぶこともできるのだと。雪明かりの下、手袋をはめた手を強く握りしめ、彼は前を向いた。