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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1957/2200

第113章 科学者(筑波→関西)



 筑波の研究都市に拠点を持っていた物理学者・高原真一(四十八歳)は、東京壊滅とともに研究所を追われた。相模トラフの地震で実験棟は半壊、放射線測定装置や超伝導マグネットは瓦礫に埋もれ、数十年かけて積み重ねてきたデータもサーバごと沈黙した。研究者仲間の半数は国外へ脱出し、残った者も散り散りになった。


 避難先として割り当てられたのは関西の大学キャンパスの一角だった。古い建物を改造した「難民研究者用ラボ」と名付けられた部屋に机が与えられた。だが、そこにあるのはノートパソコンと最低限の実験器具だけ。かつて量子干渉の実験で世界の学会に論文を出していた自分が、今は白衣すらなく、ペン一本で過去の資料を書き写すだけの日々に落ちている。


 「先生、これを使ってください」

 院生のような若者が古いオシロスコープを持ってきた。だが、その周波数帯域は研究には到底足りない。高原は受け取った手を見つめながら、口元にかすかな笑みを浮かべた。「ありがとう。……まあ、ないよりはいいな」。


 夜、キャンパス近くの避難所に戻ると、同室の避難民たちは職を探す話で持ちきりだった。建設現場での日雇い、物流の仕分け、清掃。高原も働かなければ食費を稼げない。だが自分のキャリアと肉体労働との間に横たわる深い溝が、彼を動けなくしていた。


 そんなある日、関西の中学校から「避難民の中に理科を教えられる人はいないか」という依頼が届いた。高原は渋々引き受け、黒板の前に立った。チョークを握るのは二十年ぶりだった。教科書の内容は彼にとって初歩的すぎたが、子どもたちの好奇心に満ちた目に触れると、不思議な熱が胸に宿った。


 「先生、星はどうして光ってるの?」

 「ブラックホールって飲み込んだらどこに行くの?」

 子どもたちの素朴な問いに答えるうちに、高原は思い出した。研究とは、答えのない問いに挑む営みであり、誰もが一度は子どものような好奇心から始めていたことを。


 数か月後、高原は関西の大学教授たちと合同で「難民研究者ネットワーク」を立ち上げた。資金はほとんどなく、会議室に集まってノートPCを並べるだけだったが、そこから小さな論文の種が生まれた。国外に逃れた仲間とオンラインで議論し、海外の学術誌に「戦時下における科学の持続可能性」という共同論文を発表したとき、高原は久しぶりに胸を張ることができた。


 もちろん現実は厳しい。研究費は乏しく、生活は相変わらず避難所の雑踏の中。時には「研究者なんて役に立たない」と吐き捨てられることもあった。それでも彼は諦めなかった。避難先の図書館で手に入る限りの資料を読み、ノートに書き溜める日々は、自分がまだ科学者である証だった。


 ある夜、同僚の研究者と瓦礫の街を歩きながら、高原は呟いた。

 「国が壊れても、研究は終わらない。知識は、どこにいても続けられる」

 その言葉に、隣の男が静かにうなずいた。「なら、俺たちは知識の難民だな。でも、難民だからこそ自由に未来を考えられるかもしれない」。


 高原は夜空を見上げた。戦火の影に隠れても、星は瞬いていた。研究設備も地位も奪われたが、探究心だけは誰も奪えない。彼は心に決めた。再び実験装置を動かす日まで、自分の知を繋ぎ続けるのだと。


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