第112章 漁師(三陸→新潟)
三陸沿岸の町で生まれ育った漁師・吉田誠一(五十六歳)は、ある日を境に「海の男」ではなく「避難民」になった。相模トラフを震源とする大地震と津波は、港を丸ごと呑み込み、誠一の家も船も一瞬で失われた。長年連れ添った仲間たちの姿も見えず、残ったのは濡れた作業着と塩を噛んだ空気の記憶だけだった。
新潟に送られた誠一は、仮設住宅のプレハブに入居した。細長い建物の一室、畳六畳ほどの狭さに妻と二人で暮らす。壁は薄く、隣の咳や子どもの泣き声が筒抜けだった。かつては朝四時に港へ行き、仲間と船を出して網を引いた。だが今は、毎朝、仮設の給水所に並ぶだけの日々。手は余るほどあるのに、網を握ることも舵を取ることもできなかった。
「俺たちの海はもう戻らねえんだろうな」
そう呟いた夜、妻が小さく首を振った。「海は必ず戻ってくる。でも、あなたはどうするの?」。問いかけに誠一は答えられなかった。
仮設住宅には、同じように漁を失った男たちが集まっていた。夕方になると外のベンチで缶コーヒーを飲みながら、誰がどの港で何を失ったかを語り合う。
「俺の船は新造して三年だった」
「冷凍倉庫ごと流された」
愚痴と嘆きが繰り返される中、誠一は黙って耳を傾けた。話すほどに喪失が実感となり、胸を締め付けたからだ。
冬が近づくと、燃料の配給不足が深刻化した。ストーブの灯油は週に一度、ポリタンク一つ。妻と毛布にくるまりながら、「漁の稼ぎがあれば」と誠一は唇を噛んだ。役所からの支援金は遅れ、生活費は目減りする一方だった。
ある日、地元の農家が仮設にやってきて、「漁師さん、畑を手伝ってくれませんか」と声をかけた。最初は戸惑った。土を耕すことは、海を裏切るように思えた。しかし翌日、スコップを握り、冷たい土に足を踏み込んだ瞬間、体が生き返るような感覚を覚えた。汗が額を伝い、背中に重みが走る――それは、漁と同じ「働く」感覚だった。
夜、妻が「今日は顔色がいい」と笑った。誠一は初めて小さく笑い返した。海は奪われた。だが、働く力は奪われていない。そのことに気づいた。
春が来る頃、仮設住宅で「避難者祭り」が開かれた。地元住民と避難民が共に屋台を出し、簡単な舞台で歌を披露する催しだった。誠一は漁師仲間と一緒に「網起こし唄」を歌った。潮の匂いのない土地で声を張り上げると、会場の人々が拍手を送った。胸が熱くなった。
祭りの帰り道、妻が言った。「あなた、また海に戻れるよ」。誠一は首を振った。「海が戻るかは分からん。でも、俺はまだ人として働ける」。
仮設住宅の狭い部屋に戻り、布団に潜り込む。耳の奥に、波の音が微かに蘇る。失ったものは大きい。だが、働き、生き続けることで、希望は形を変えて生き残るのだと誠一は信じた。