第111章 高校生(東京→四国)
東京壊滅から数週間。十六歳の田島直樹は、両親と離れ、単身で四国の疎開学園へ送られた。港からフェリーに揺られ、見慣れぬ山並みと棚田の風景が広がった時、彼は「これが新しい現実だ」と悟った。
疎開学園は廃校になっていた中学校を改修した施設だった。木造の校舎に鉄骨で補強を加え、体育館に二段ベッドを並べた寮を設置。東京から来た生徒たちは百人単位で収容され、四国の地元生徒と一緒に学ぶことになった。
最初の数日、直樹は強烈な疎外感に囚われた。方言の混ざる教室、見慣れぬ制服、給食の食材は地元の芋や野菜ばかり。廊下を歩けば「東京から来た子や」とひそひそ声が聞こえる。ある日、体育の授業でバスケットをしていると、地元生徒に突き飛ばされ「都会っ子は役立たず」と吐き捨てられた。悔しさで胸が熱くなったが、言い返す言葉を飲み込んだ。
夜の寮は騒がしく、誰かが泣き、誰かが家族の名を呼んでいた。直樹も布団の中で東京の友人や家族を思い出し、眠れぬ夜を過ごした。机の引き出しに隠した破れたノートには、焼け落ちた自宅の間取りを描き続けた。
しかし、次第に日常が流れ込んできた。授業では先生が「未来を失ったわけではない」と何度も言い、地元生徒の一部は東京の同級生にノートを貸してくれた。ある日、直樹は給食の列で声をかけられた。
「都会の子でも箸の持ち方は同じなんやな」
そう言ったのは地元の農家の息子、武史だった。悪意のない冗談に直樹は思わず笑った。
やがて、疎開学園では「合同文化祭」を開こうという話が持ち上がった。戦火で壊れた日常を少しでも取り戻そうと、教師や自治体が企画したものだった。東京から来た生徒は最初「そんな余裕ない」と拒否感を示したが、直樹は考え直した。「ここで何かを作らなければ、ただ逃げてきただけの存在になる」。
文化祭当日。地元の子どもたちは太鼓や民謡を披露し、東京組は焼け残ったノートを元に小さな劇を作った。テーマは「帰りたい街」。直樹が語り役として立ち、暗い舞台で「失ったものは戻らない。でも、ここから作り直す」と声を張り上げた瞬間、会場の空気が変わった。観客席には涙ぐむ教師や地元住民の姿があった。
夜、寮に戻った直樹は、初めて深く眠ることができた。夢の中で、東京の友人たちと再会し、再び笑い合っていた。目を覚ますと、窓の外に朝の光が差し込み、鳥の声が聞こえた。
彼は思った。
――俺たちは難民じゃない。疎開した学生だ。ここから未来を担う世代だ。
その気づきが胸に灯となり、直樹はノートを開いて新しい一行を書き始めた。