第107章 東京・霞ヶ関被爆から逃れた女性会社員・中村綾子(避難先:長野)
――映像が反転するように現れる。爆心地から南へ走り抜けたビル街。202X年、霞ヶ関上空で炸裂した十五キロトンの核爆発。その瞬間、中村綾子(三十四歳、霞ヶ関勤務の会社員)は地下鉄の階段に飛び込んでいた。爆風で全身が打ち付けられ、耳はキーンと鳴り、視界は白い閃光に焼かれた。
命からがら地下街を抜け、仲間と共に西へ逃れた。新宿から中央線をたどり、やがて政府の避難誘導に従って長野に送られた。長野市郊外の体育館。そこが彼女の新しい生活の場だった。
最初の数日は、ただ「生き延びた」という事実だけが支えだった。ボランティアが炊き出しをし、自治体職員が毛布と水を配った。長野の住民は温かく迎えてくれたが、数週間もすると「東京から来た人々が物資を奪っている」という噂が流れ始めた。綾子はレジで並んでいると、後ろから「都会の人は図々しい」と囁かれた。
避難所の生活は、霞ヶ関のオフィスとは正反対だった。かつてはスーツを着て資料を抱え、官庁街を駆け抜けていた自分が、今は雑魚寝で、トイレの行列に並んでいる。夜、体育館の薄暗い灯りの下で「私はもう会社員ではない」と呟いた。肩書も役職も失った。残ったのは、ただの“被災者”というラベルだけだった。
やがて政府は仮設住宅の建設を進め、綾子も小さなプレハブに移された。畳一枚ほどのスペースに簡易ベッドと小さな机。外に出れば信州の山々が連なっており、その景色は美しかった。しかし彼女にとっては「帰れない東京の代替」にしか見えなかった。
仕事を探した。だが、避難民に用意されているのは農作業の補助や介護施設の雑務が中心だった。エクセルや契約書の処理はここでは役に立たない。農家でリンゴの箱詰めをしながら、彼女は「私は何者なのだろう」と自問した。指先は冷たく、腰は悲鳴を上げた。それでも金を稼がねば生活できなかった。
夜になると、避難所仲間と焚き火を囲んで話した。誰もが家族や仕事を失っていた。子どもを抱える母親、高齢の父を連れてきた青年、そして綾子のような独身の会社員。互いの境遇を語り合ううちに、小さな連帯が生まれた。彼女はそこで初めて「ここでも生きていけるかもしれない」と思った。
しかし心の奥では、東京への未練が消えなかった。爆心地近くで同僚を失った記憶が夜ごとに蘇った。書類を抱えたまま倒れた課長の姿、炎に包まれるビル。目を閉じると、その映像がフラッシュのように繰り返された。
ある日、長野の地元紙が「首都再建は数十年単位」と報じた。記事を見て、綾子は深く息を吐いた。帰る場所はもうない。彼女は机の上に置いた手帳を開き、新しいページに大きく書いた。
「長野で生きる」
それは自らに課した誓いだった。しかし心の奥で、「東京での私」はもう二度と戻らないことを痛感していた。
――記憶はそこで途切れる。残されたのは、リンゴ箱の冷たい段ボールの感触、避難所で囁かれた言葉、そして「長野で生きる」と震える文字で記された手帳の一頁だった。