第105章 済州島の漁師の妻・尹美蘭(避難先:オーストラリア)
――視界が切り替わる。乾いた陽射しが照りつけるシドニー郊外。赤土の大地とユーカリの林、その中に建てられた難民宿舎に、済州島出身の尹美蘭(四十四歳)が暮らしていた。
夫は北の砲撃で漁船ごと消息を絶った。彼女は二人の子どもを連れて避難船に乗り込み、長い航路を経てオーストラリアに辿り着いた。最初に降り立った空港で、制服を着た職員が「Welcome」と微笑んだ。その笑顔に安堵したが、同時に「これからどうやって生きていくのか」という不安が重くのしかかった。
オーストラリアは労働市場への吸収を重視していた。移民・難民は一定期間内に仕事を見つけることを条件に支援金が与えられる。美蘭は英語がほとんど話せなかったが、農場の収穫作業に加わることになった。炎天下で腰を曲げ、果物を摘み、籠を運ぶ。済州島での漁村生活も体力仕事だったが、この乾いた大地は彼女の肌を容赦なく焼いた。
宿舎に戻ると、子どもたちは学校で覚えた英語を口にした。下の娘は「ママ、友達ができた」と笑顔を見せた。その笑顔に救われながらも、美蘭は心の奥で寂しさを抱いた。子どもがこの国に馴染むほど、故郷から遠ざかっていく気がしたからだ。
労働現場では他国からの移民や難民が混ざり合っていた。ミャンマー、シリア、アフリカの人々。彼らとの間に言葉の壁はあったが、汗を流す姿は同じだった。休憩時間に渡された冷たい水のボトルを分け合うだけで、奇妙な連帯が生まれた。
しかし、地域社会の視線は必ずしも温かくはなかった。ニュースでは「難民の受け入れは限界」という声が報じられ、スーパーでは「彼らが仕事を奪っている」という囁きが聞こえた。ある日、レジに並んでいたとき、前の客が「難民は自分の国に帰るべきだ」と吐き捨てた。美蘭は言葉が出ず、ただ俯いた。
それでも彼女は諦めなかった。夜、宿舎で英語の教科書を開き、子どもに発音を教わりながら練習した。娘に笑われても、息子に訂正されても、彼女は必死に繰り返した。「生きるためには言葉が必要だ」と身に染みていた。
やがて小さな転機が訪れた。農場の仕事を通じて知り合った女性が、清掃会社を紹介してくれたのだ。勤務は早朝からだが、農場より安定していた。給料も少し増え、生活は僅かに改善した。子どもたちに新しい靴を買ってやれるようになった夜、美蘭は声を殺して泣いた。
しかし孤独は消えなかった。夫を失った空白は埋まらず、夜になると波の音を思い出した。済州島の黒い溶岩海岸、潮風の匂い。ユーカリの葉を揺らす風はそれを思い出させない。
ある日、子どもが「ママ、オーストラリアに残ろうよ」と言った。美蘭は微笑んで頷いたが、胸の奥では複雑な痛みが広がった。帰る場所を失ったことを、子どもが先に受け入れたのだ。
労働、孤独、そして子どもの未来。三つの重さを抱えながら、美蘭は夜空を見上げた。南十字星が輝いていた。その光は彼女に「ここで生きろ」と囁いているように思えた。
――記憶はそこで途切れる。残されたのは、果物畑の汗の匂い、スーパーで浴びた冷たい言葉、そして南十字星の光だった。