第105章 ソウルの女子大学生・韓知英(避難先:カナダ)
――舞台はカナダのトロント。高層ビルの窓に反射する冬の光。カフェのガラス越しに、ノートパソコンを広げた若い女性の姿がある。彼女の名は韓知英、二十一歳。ソウルの名門大学で国際関係論を学んでいたが、戦火によって夢は断ち切られた。
カナダは若い避難民の受け入れに積極的で、特に学生層には奨学金や教育プログラムが用意されていた。知英もその一人として大学に編入を認められた。英語力を活かし、授業ではすぐに頭角を現した。教授からは「君はリーダーになれる」と評価され、学生団体でも発言の機会を得た。
だが、その自由は同時に孤独を伴っていた。キャンパスの芝生で笑い合う学生たちを眺めながら、知英は「私はここで何を目指しているのだろう」と自問した。祖国は崩壊の危機にあり、家族はアメリカに避難したと聞くが、安否は定かではない。メールに返信はなく、電話も繋がらない。
ある日、授業で「国家とアイデンティティ」についてディスカッションがあった。カナダ人の学生が「祖国を失っても、人は新しい国で市民になれる」と言ったとき、知英は震える声で反論した。
「祖国を失う痛みは、国籍を変えるだけで消えるものではない」
教室は静まり返り、教授は「それがまさに現実の声だ」と頷いた。だが知英の胸には、自分が“難民”として語らざるを得ない現実の重さがのしかかった。
生活は安定していた。奨学金があり、学生寮は快適で、食堂には温かい食事が並ぶ。だが夜になると、彼女はSNSに流れる祖国の映像を見続けた。焼け落ちたソウル駅前、避難する群衆。そこに自分の友人の顔が映っていないかと目を凝らし、涙で画面が滲むこともあった。
週末、彼女は韓国系移民の教会に足を運んだ。そこではキムチの匂いと賛美歌が満ち、まるでソウルに戻ったような気がした。しかし移民の人々にとって彼女は「避難民の若者」であり、視線には微妙な距離があった。移民は努力して地位を築いた人々、知英は戦争で一瞬にして投げ出された人間。壁は見えないが確かに存在した。
知英は自らに問い続けた。「私はカナダで未来を築くべきか、それともいつか祖国に戻るべきか」。答えは見えない。だが授業で知り合った友人に「君はここで新しい道を作れる」と励まされるたび、彼女は一歩だけ前に進む勇気を得た。
春、大学の国際学生会議に参加する機会を得た。壇上で「祖国を失った若者の視点」として発表することになった。原稿を準備しながら、知英は夜ごと泣いた。自分が難民代表として話すことが、祖国の崩壊を認めることのように思えたからだ。
当日、壇上に立った知英は声を震わせながら語った。
「私の国は今、地図から消えようとしています。でも、私たちの記憶と文化は消えません。私は難民ではなく、韓国人として生き続けます」
会場は拍手に包まれた。その瞬間、彼女は初めて胸を張ることができた。
夜、寮の窓から見上げたカナダの星空は透き通るように澄んでいた。だが心の奥では、ソウルの街灯がまだ瞬いていた。彼女はそっと囁いた。
「いつか帰る。たとえ瓦礫になっていても」
――記憶はそこで途切れる。残ったのは、教室で放った言葉の震え、SNSの画面を見つめる涙、そして帰還を願う強い祈りだった。