第101章 台北の若いカップル・林建宏と王怡婷(避難先:ポーランド)
――光景が切り替わる。ワルシャワの灰色の空。冷たい風が吹き抜ける古いアパートの一室。そこに腰を下ろすのは、台北出身の若いカップル、林建宏(二十七歳)と王怡婷(二十五歳)だった。
二人は大学時代に出会い、卒業後は同じIT企業で働いていた。結婚を考えていた矢先、中国の侵攻で未来は崩れ去った。ポーランドは空路で最も早く受け入れ先を見つけられたため、彼らは迷う暇もなく飛び込んだ。
最初の数週間、二人は国の難民登録センターでPESEL番号を取得し、滞在資格を得た。役所の職員は慣れた手つきで書類を処理し、通訳ボランティアもいた。しかし建宏は「ここで俺たちはどう生きる?」という不安を拭えなかった。
ポーランドの支援制度では、住宅補助や生活給付が最初に与えられる。ただし就労を条件に段階的に縮小される仕組みだった。建宏はすぐに倉庫作業員の仕事を見つけた。重労働だが、給料は最低賃金。大学で学んだプログラミングの知識は、言語の壁と資格承認の手続きに阻まれて活かせない。
一方、怡婷は現地のカフェでアルバイトを始めた。ポーランド語を少しずつ覚え、笑顔で客に対応する姿は逞しくもあった。だが帰宅後、彼女は「本当にこの国で一生を過ごすの?」と繰り返し尋ねた。建宏は答えに窮した。
夜、二人は狭いアパートのベッドに並んで横たわる。天井の染みを見つめながら、建宏は「俺がもっと稼げれば」と呟く。怡婷は「生き延びただけで十分」と答えるが、その声には揺らぎがあった。
街を歩くとき、時折冷たい視線を感じることがあった。ニュースでは「ウクライナ難民の支援疲れ」が報じられ、SNSでは「アジア人は不正に給付を受けている」という虚偽情報が流れていた。ある日、スーパーで年配の男性に「国へ帰れ」と言われ、怡婷は震える手で建宏の腕を掴んだ。
それでも支えてくれる人々もいた。近隣の若い夫婦が食事に招いてくれたり、カフェの同僚がポーランド語を教えてくれたり。怡婷は笑顔を取り戻す時間も増えたが、建宏は逆に焦りを募らせた。「俺は彼女を守れていない」という思いが、胸を締め付けた。
冬が近づくと、光熱費の高騰が二人を直撃した。補助金はあったが、家計は常に赤字ぎりぎり。倉庫のシフトを増やそうとした建宏に、上司は「もう契約は延長できない」と告げた。代わりに提示されたのは、さらに遠方の工場勤務。通勤に二時間かかる。建宏は黙って頷いたが、心は沈んだ。
その夜、二人の間に沈黙が流れた。怡婷は「もう一度、別の国を探そう」と提案した。建宏は拳を握りしめ、「逃げてばかりじゃ駄目だ」と反論した。言い合いは長くは続かなかったが、二人の間に冷たい溝が残った。
やがて春。怡婷はポーランド語検定の初級に合格し、正規契約の可能性を掴みつつあった。建宏は相変わらず肉体労働に追われていたが、彼女の笑顔を見ると複雑な感情に包まれた。
「彼女は強い。俺は?」
自分を責める声が心を苛んだ。
ある夕方、教会の前で慈善団体が食料を配っていた。建宏は列に並びながら、自分が難民として扱われていることを突き付けられた。周囲には子どもを抱えた母親、高齢者、疲れ切った顔の男たち。彼は視線を落とし、袋を受け取った。帰宅して袋を開けると、中には乾いたパンと缶詰が入っていた。それを見た怡婷は「ありがたいね」と笑ったが、建宏は声を出せなかった。
夜、二人は再びベッドに横になった。外は雪が舞っていた。
「ここで私たちは、夫婦でいられる?」
怡婷の問いは、静かに宙に漂った。建宏は彼女の手を強く握りしめた。答えはなかったが、握った手だけが彼らの絆を示していた。
――記憶はそこで途切れる。残ったのは倉庫の埃の匂い、冷たい視線、そして互いの手の温もりだった。