第94章 台北の銀行員・鄭志宏(避難先:ポーランド)
――視界が開く。磨き込まれた大理石の床、指先に残る紙幣の感触。これは鄭志宏の記憶だ。
かつて台北の銀行で働いていた彼は、金融危機や株式暴落のニュースを冷静に処理することに慣れていた。だが、ミサイル警報のサイレンが街を覆った瞬間、数字では測れない現実が人生を飲み込んだ。数週間後、彼は家族とともにワルシャワに降り立った。
到着した空港のゲートで配布されたのは、仮の滞在許可証と一枚の案内パンフレット。そこには〈労働市場への参加を歓迎します〉と英語で記されていた。志宏はほっと胸をなで下ろしたが、次の行には細かい条件――「ポーランド語研修受講」「資格証明書の翻訳・認証」「就労許可審査」――が並んでいた。銀行員としての十数年のキャリアは、紙の束に変換されない限り、ただの“過去”に過ぎない。
最初の数週間、志宏と妻、二人の子どもは難民用の宿泊施設で過ごした。共同キッチン、狭い二段ベッド。廊下には常に子どもの泣き声と、大人のため息が交錯していた。ポーランド人スタッフは笑顔を絶やさなかったが、夜になると地元住民からの抗議デモの声が遠くから響いた。「なぜ自分たちの税金で、外国人を養うのか」。その声は窓越しに、志宏の心臓を突き刺した。
就職活動を始めたが、銀行の面接官は言った。
「あなたの経歴は立派だ。しかし、こちらでは金融法規も会計基準も異なる。ポーランド語を流暢に扱えなければ、顧客の信頼は得られない」
志宏はうなずくしかなかった。数字は世界共通のはずなのに、言葉という見えない壁がそれを覆い隠していた。
結局、彼が最初に得られたのは倉庫作業の臨時雇用だった。重い段ボールを積み上げ、仕分けリストを確認する仕事。台北でスーツに身を包み、投資家と契約を交わしていた手が、いまは擦り切れた軍手に包まれている。腰は悲鳴をあげ、夜には布団の中で指が震えた。
ある夜、息子が尋ねた。
「パパ、いつ銀行に戻るの?」
志宏は答えられなかった。彼の口から漏れたのは、「勉強を続ければ、きっと道は開ける」という曖昧な言葉だった。
しかし希望の芽もあった。地元NGOが主催する金融スキル講座に参加し、通訳を介してポーランド人の若者に会計の基礎を教える機会を得た。若者たちは「台湾の銀行ではこうなのか」と興味を示し、質問を投げかけてきた。その瞬間、志宏は初めて「自分の知識がまだ必要とされている」と感じた。
ただ、生活の現実は厳しい。支給される住宅補助は半年で打ち切られる予定で、賃貸契約には保証人が必要だ。食品価格は急騰し、家族で食卓を囲むたびに、妻は無言で皿の上のパンを子どもに譲った。
志宏は夜ごと、自分の手帳に数字を書き連ねた。収入、支出、補助金の期限。赤字が広がるページを前に、彼は銀行員時代の冷静な分析を取り戻そうとした。だが、ここには「投資による将来利益」も「信用格付け」も存在しない。ただ、明日をどう生き延びるかという直線的な数字だけが残った。
ある日、職業斡旋所で隣に座ったウクライナ出身の女性が言った。
「私も看護師として十年働いたけど、ここでは掃除の仕事しかない。でも、子どもを育てるためには仕方ない」
その言葉に、志宏は奇妙な安堵を覚えた。彼だけではない。多くの人が「過去の肩書き」と「いまの現実」の間で揺れていた。
夜、ワルシャワの街を歩くと、旧市街の石畳にオレンジ色の灯りがにじんでいた。人々はカフェで笑い、恋人同士が肩を寄せ合って歩く。志宏はガラス越しにその光景を見つめ、自分の家族もいつか“日常”に戻れるのだろうかと考えた。
だが同時に、彼の胸にはもう一つの感情が芽生えていた。
――自分たちは「招かれざる客」なのかもしれない。
記憶はそこで途切れる。残ったのは、軍手の擦れる音と、倉庫の埃っぽい匂い、そして息子の問いかけ――「パパはいつ銀行に戻るの?」という言葉だけだった。