第89章 寺子屋の討論 ― 数学の未来像
新寺子屋の午後。窓の外では秋の風が木々を揺らしていた。教室に入った先生は黒板に一行だけ書いた。
「AI数学は人間に必要か?」
そして振り返り、生徒たちを見渡した。
「今日は私が話すのではない。君たち自身で討論してほしい。」
討論の開始
生徒たちは一瞬ざわめいたが、すぐに真剣な空気に包まれた。ユイが最初に手を挙げる。
「私はAI数学はいらないと思います。だって私たちが理解できないものは、数学じゃない。共有できない知識なんて文化にならないし、ただの“計算結果”でしかないと思います。」
ケンがすぐに反論する。
「でも、それで新しい技術や科学が進むなら、役立つじゃないか。たとえ僕らが理解できなくても、AIの成果で薬が作れたり、宇宙の謎が解けたりするかもしれない。それは十分に価値があるだろ?」
教室は一気に熱を帯びた。
文化派 vs 実用派
議論は自然に二派に分かれた。
•文化派
「数学は人が理解し、美を感じ、文化として継承するもの。AIの数学は文化を壊す危険がある。」
•実用派
「数学は手段であり道具だ。理解よりも正しさと有用性が重要。AIが役立つなら受け入れるべき。」
ある生徒はこう指摘した。
「もしAIが宇宙の根本法則を数式で示したとしても、僕らが理解できなければ宗教みたいになる。信じるだけになってしまうんじゃないかな。」
別の生徒は逆に言う。
「でも、そもそも人間だって相対性理論を最初は理解できなかった。時間が経って教育が進めば、今の高校生でも学べる。AI数学も同じじゃない?」
討論の深化
議論はさらに深まっていった。
ユイは机を叩きながら主張する。
「理解できないものをそのまま受け入れたら、数学は文化じゃなくなる。美しい証明や共有できる直感を捨てたら、人間の数学は死んでしまう。」
ケンは対抗して言った。
「でも数学はもともと“真理を追う道具”だろ? 美しさは副産物にすぎない。AIが真理に到達するなら、それを使うべきだ。」
別の生徒が手を挙げた。
「もしかしたら、AI数学と人間数学は別の言語なのかも。AIが結果を出し、人間が翻訳して意味を与える。両方必要なんじゃない?」
教室の空気
議論は収拾がつかなくなった。文化派と実用派は互いに譲らず、意見は鋭く対立したまま。だが、その熱こそが教室を満たしていた。
先生は後ろで静かに聞いていたが、やがて黒板に二つの円を描いた。
•人間数学(文化・美・直感)
•AI数学(形式・効率・正しさ)
そして二つの円が少し重なるように描いた。
「討論はここまで。結論を出す必要はない。大切なのは、この二つがどこで交わるかを考え続けることだ。」
結び
夕方の光が差し込み、教室を黄金色に染めた。
ユイはノートに「文化としての数学」と書き、ケンは「道具としての数学」と記した。
黒板の前には、二つの円が静かに重なり合っていた。
先生は最後にこう言った。
「数学の未来像を決めるのは、私でもAIでもない。君たち自身だ。答えのない問いを抱え続けること、それこそが未来を形づくる力になる。」
生徒たちはそれぞれの立場を胸に刻みながら、窓の外に広がる夕空を見上げた。そこには、まだ解かれていない“未来の数式”が浮かんでいるように思えた。