第87章 理解困難なAI数学
夕暮れの新寺子屋。窓から射し込む光が黒板をオレンジ色に染めていた。先生は厚い資料を抱えて教壇に立った。
「今日は“理解困難なAI数学”について話す。AIが発見する定理や証明は、人間には直感的に理解できないものが増えている。」
そう言って、先生は分厚い論文のコピーを生徒たちに配った。ページ数は数百に及び、びっしりと数式が並んでいる。
巨大すぎる証明
ユイは最初のページをめくったが、すぐに顔をしかめた。
「これ……何が書いてあるのか全然分かりません。」
ケンも首を振る。
「どこが重要で、どこが補足なのか、目で追うだけでも無理です。」
先生は頷いた。
「これは実際にAIが生成した証明の一部だ。数千ページに及ぶ論理展開を、人間は読み切ることすらできない。だが形式的に検証すると、正しいことは保証されている。」
ユイが戸惑いを隠せずに言った。
「正しいけど理解できない……それって数学って言えるんですか?」
人間の直感とAIの形式
先生は黒板に二つの円を描いた。
•人間の数学:直感・意味・美意識
•AIの数学:形式・計算・証明
「人間は“分かる”ことに価値を置く。証明は正しいだけでなく、美しく、共有できるものでなければならない。だがAIは違う。形式的に正しければ、美しさも直感も必要ない。」
ケンが口を挟む。
「じゃあ、僕らが一生かけても理解できないような証明をAIが作る……それって、僕らの数学の役割はなくなっちゃうんじゃ?」
先生は首を振った。
「役割は変わる。人間はAIの結果をどう解釈し、文化に還元するかを担う。“通訳者”としての数学者の役割が生まれているんだ。」
体験課題 ― 理解できない数式
先生は黒板に一つの式を書いた。
\[
\sum_{i=1}^{10^6} \frac{f(i)}{g(i)} \equiv 0 \pmod{p}
\]
「これはAIが導いた定理の断片だ。定義域や関数の具体的な形は省略してあるが、AIはこれを“常に成り立つ”と証明した。だが人間の直感ではなぜ成り立つか理解できない。」
ユイはノートに必死に写したが、眉をひそめた。
「意味が分からないのに、正しいってどうやって信じればいいんですか?」
「形式的検証ソフトが保証する。それがAI数学の論理だ。」
教室に重い沈黙が流れた。
生徒たちの討論
先生は問いを投げかけた。
「理解できない数学は、数学と言えるか?」
ユイ:「数学は“分かること”が大事。共有できないなら、それは数学じゃない。」
ケン:「でも、科学や工学に役立つなら、理解できなくても意味がある。証明はツールになればいい。」
別の生徒:「数学の本質が“文化”ならユイの言う通り。でも“技術”ならケンの言う通りだと思います。」
議論は二つに割れ、教室は熱を帯びていった。
結び
先生は黒板に大きく二つの言葉を書いた。
•理解
•正しさ
「AI数学は“正しさ”を保証するが、“理解”を与えてはくれない。数学とは理解なのか、それとも正しさなのか。君たちが未来に選び取るべき問いは、ここにある。」
窓の外に夜の帳が降り、生徒たちは分厚い資料を閉じた。
頭には“理解できない数学”という重い問いが残り、それが未来を見つめるための宿題となった。