第86章 AI数学と人間数学の分岐
新寺子屋の黒板に、先生は二本の矢印を描いた。
•人間数学 → 文化・意味・美学
•AI数学 → 形式・探索・最適化
「今日は“AI数学と人間数学の分岐”について学ぶ。数学はこれから二つの異なる道を歩むことになる。」
人間数学 ― 文化としての営み
先生はまず「人間数学」と書き、その下に「美しい証明」「文化的背景」と記した。
「人間は数学を文化の一部として育んできた。単なる計算ではなく、美しさや意味を重んじた。例えば“美しい証明”という言葉がある。短く、対称的で、普遍的に通じる解法を見つけることが数学者の誇りだった。」
ユイが頷く。
「昨日の授業でやった、1から100まで足すガウスの解法、あれは“美しい”って思いました!」
「そうだ。人間数学は芸術や言語とつながり、文化の中で共有されてきたんだ。」
AI数学 ― 純形式の世界
次に先生は「AI数学」と書き、横に「正しさ」「効率」と記した。
「一方でAI数学は、美しさや意味を考えない。証明が数千ページに及んでも構わない。数式が人間に理解できなくても“正しい”なら十分だ。AIは純粋に形式を探索し、最適化するだけなんだ。」
ケンが眉をひそめた。
「じゃあ、AIにとって“美しい証明”は無意味なんですか?」
「その通り。AIは美や文化を感じない。数学を“正しい構造”としてのみ扱う。だから人間数学とAI数学は根本から分岐している。」
具体例 ― フェルマーの最終定理
先生は黒板に「x^n + y^n = z^n (n>2)」と書いた。
「フェルマーの最終定理は、人間が350年以上挑戦した難問だ。ワイルズが1990年代にようやく証明したが、その証明は深遠で美しいと評価された。」
ユイがうっとりとつぶやく。
「人間の知恵の積み重ねの結晶ですよね。」
「だがAIなら brute force 的に探索し、膨大な組合せを機械的に潰してしまうかもしれない。その場合、“美しい証明”ではなく“ただの解法”になる。」
ケンが苦笑した。
「人間は何世紀も悩んで、AIは数日で解く……でも美しさがない。」
生徒たちの議論
先生は問いかけた。
「美しいかどうかは関係ない。正しければそれでいい。そう思うか?」
ケン:「僕は正しければ十分だと思います。工学とか科学に役立てば、美しさは二の次じゃないですか?」
ユイ:「でも、美しさや意味がなければ、人間は納得できない。共有できない数学なんて、文化じゃない。」
別の生徒:「AI数学と人間数学は、どっちも必要なんじゃない? 技術はAI数学、文化は人間数学って役割分担で。」
教室は二つの意見に分かれ、議論が白熱した。
結び
先生は静かに板書をまとめた。
•人間数学:文化・意味・美学を重視。共有・理解が核心。
•AI数学:形式・正しさ・効率を重視。理解は必須でない。
「数学は二つに分かれ始めている。どちらが正しいかではなく、二つの数学をどう共存させるかが、君たちの時代の課題だ。」
窓の外には暮れかけた空が広がり、生徒たちは“美しい数学”と“冷徹な数学”という二つの未来像を思い浮かべていた。