第81章 ホモ・エレクトスの限界
夕暮れの新寺子屋。先生は黒板に一枚の古代人の姿を描いた。背筋はやや前傾し、手には石の斧を握っている。
「今日は“ホモ・エレクトス”について学ぶ。君たちも名前くらいは聞いたことがあるだろう。約190万年前に登場し、長く地球上に生きた人類の祖先だ。」
ケンがすぐに手を挙げる。
「でも先生、彼らは“火を使った”り“狩りをした”りしていたんですよね? だったら数も分かったんじゃないですか?」
「いい視点だ。確かに彼らは火を使い、石器を巧みに作った。仲間と協力して狩りもした。しかし――“抽象的な数”を理解していたかというと、証拠はない。」
石器に見るパターン認識
先生は机に黒曜石のレプリカを並べた。
「見てごらん。ホモ・エレクトスの石器“アシュール型ハンドアックス”だ。左右対称に整えられているだろう?」
ユイが頷く。
「すごい……きれいな三角形みたい。」
「そう、彼らは“形のパターン”を理解していた。これは数や幾何の萌芽だ。しかし、対称性を作ることと、“数そのもの”を抽象化することは違う。石器に“3本の刻み”や“10の記録”は残されていない。」
数の記録の欠如
先生は黒板に「////」と刻みを描いた。
「数の記録は、もっと後の人類――ホモ・サピエンスの時代に見られる。イシャンゴ骨や洞窟の刻みがその証拠だ。だが、ホモ・エレクトスの遺物にはそうした“数を数えた痕跡”がない。彼らは羊を数える必要もなく、群れの規模を“多い/少ない”で把握すれば十分だったんだ。」
ケンがぽつりと言った。
「じゃあ、ホモ・エレクトスは“3”とか“5”を知らなかった?」
「そう考えていい。せいぜい“少し”と“たくさん”を直感で分ける程度だろう。だから彼らの世界は“おおざっぱな数感覚”にとどまっていた。」
教室での実験
先生は生徒を前に呼び出し、木の実を机に置いた。
「さあ、実験してみよう。ユイ、この木の実を3つ取ってきてくれ。」
ユイは籠から木の実をつかみ、机に並べた。
「はい、3つです!」
先生は頷き、次にケンに指示した。
「ケン、今度は“少しだけ”持ってきて。」
ケンは悩みながら5つの実を置いた。
「これがホモ・エレクトスの限界に近い。“少し”と“たくさん”の区別はできるが、“3”や“5”といった抽象的な数詞を持たなかった。だから数を記録し、共有する文化も育たなかった。」
社会と数のギャップ
先生は黒板に二つの円を描き、一方に「科学的知能」、もう一方に「数学的知能」と書いた。
「ホモ・エレクトスは石器を作る“科学的知能”を持っていた。しかし“数学的知能”――つまり記号や言語で数を扱う力はなかった。だから数の文化は芽生えなかったんだ。」
ユイがつぶやく。
「つまり、数は“文化の後押し”がなければ生まれないんですね。」
「その通り! 社会性や言語が結びついたとき、初めて人類は数を抽象化できた。だからホモ・エレクトスは数の入口まで来ていたが、その先に進めなかったんだ。」
結び
授業の最後、先生は静かにまとめた。
•ホモ・エレクトスは火と石器を使ったが、抽象的数概念は持たなかった。
•彼らの数感覚は“少し/多い”にとどまった。
•言語と社会性がなければ、数は記録・共有できない。
「人類の長い進化の中で、“数”は後から獲得された能力だった。つまり数は本能ではなく、文化と社会の賜物なんだ。」
窓の外で夕日が沈み、赤く染まる空を生徒たちが見上げた。彼らの心に、“数を生む文化の力”という新しい視点が刻まれていった。