第75章 加減の発見
翌日の新寺子屋。机の上には、干した豆が大きな籠に入れられていた。先生は生徒たちに向かってにっこり笑い、籠をどんと前に置いた。
「さて、今日は“加えること”と“減らすこと”――つまり加法と減法の誕生を一緒に体験してみよう。」
そう言うと、先生は籠から豆を一つつまみ、机の上に置いた。
「君、名前は?」
「……ケンです。」
「よし、ケンに豆を一つあげた。さて、この机の上にある豆はいくつ?」
「一個!」
周囲から声が上がる。先生はさらにもう一粒置いた。
「さあ、今は?」
「二個!」
次々に増えていく豆に、生徒たちの目が輝く。
「これが“加える”という行為だ。食べ物を分け与えるとき、羊の群れを数えるとき、仲間と一緒に狩った獲物を分配するとき――“数が増える”ことをどう伝えるかが重要になった。人間は“加える”を最初に発見したんだ。」
先生は黒板に「+」の記号を書いた。
「これは現代の記号だが、古代の人々には記号はまだなかった。石を積んだり、刻みを増やしたりすることで“加えた”ことを表現したんだ。」
今度は逆に、先生は豆を一粒取り去った。
「では、今はどうなった?」
「一個に戻った!」
「そう、それが“減らす”だ。食料を食べたら減る。仲間に分け与えれば減る。つまり、生活の中で“減法”は自然に生まれた。」
前列の女の子が手を挙げる。
「先生、“足すのは楽しいけど、引くのは損した気分になります。”」
教室に笑い声が広がった。先生も笑みを浮かべながら答える。
「確かにそうだな。でも“減らす”を理解することは、生存に欠かせなかった。食料がいくつ減ったかを知らなければ、次に狩りに出るべきか、冬を越せるかが分からないからだ。」
黒板に「+」の隣に「−」を大きく書く。
「“加える”は豊かさを記録し、“減らす”は不足を警告する。二つは人類が社会を築く上で両輪だった。」
先生は、生徒を三人前に呼び出した。豆を配りながら言う。
「ここに豆が三つある。アキに一つ、ユイに一つ、ケンに一つ。机の上に残る豆はいくつ?」
「ゼロ!」と子どもたち。
「その通り! ここに“無い”という概念が出てくる。“引き算”を繰り返した先に、“ゼロ”という驚くべき発見が生まれる。だがゼロはとても難しく、インドの数学者たちが生み出すまで数千年かかったんだ。」
先生は豆をもう一度籠に戻し、机を指でトントンと叩いた。
「想像してごらん。もし、君の村に羊が五頭いて、そのうち二頭を敵に奪われたら? 残りはいくつになる?」
「三頭!」と声が揃う。
「そうだ。この“数が減る”感覚が、人間を現実と結びつけた。狩猟も農耕も、減法を理解しなければ成り立たなかったんだ。」
生徒たちが豆を手に取り、自分たちで「足し算」「引き算」を遊びのように繰り返す。黒板には「+」「−」の記号が並び、その横に笑顔の落書きが増えていく。
「いいかい。」先生は最後にこうまとめた。
「加えることと減らすことは、単なる計算じゃない。豊かさと欠乏、希望と不安を見える形にしたものなんだ。だからこそ、加減は“人間の生活そのもの”を表す最初の数学だったんだよ。」
窓の外では秋風が揺れ、庭の柿の実がひとつ、ぽとりと地面に落ちた。先生はそれを見て微笑んだ。
「ほら、自然の中にも“減る”はあるだろう?」