第74章 数の誕生
新寺子屋の教室には、木の机と長椅子が並び、窓から射し込む秋の光が畳の上に斜めの線を描いていた。黒板代わりの大きな白板の前に立った先生は、手に小石をいくつか握り、にやりと笑った。
「さて、今日の授業は“数の最初のかたち”についてだ。君たちは“数”を当たり前のように使っている。九九も、方程式も、コンピュータも。しかし、人間が最初から数学を操っていたわけじゃない。数えることそのものが発明だったのだ。」
ざわざわと声が上がる。後ろの席の男子が、こっそりタブレットを閉じ、前のめりに耳を傾けた。
先生は机の上に小石を「コトン、コトン」と置いていく。
「さあ、これはいくつ?」
「……一個」
「二個!」
「三つ!」
子どもたちの声が重なる。
「そう、こうして“1、2、3”と数えていくことは今なら当然だ。だが、人類が最初に気づいたのは“1”と“多い”の違いだった。羊が一頭、そして群れ。魚が一匹、そして群れ。それで十分だったんだ。」
先生は黒板に「1|多」と大きく書いた。
「今も、ある言語には“1”“2”“たくさん”しか数詞がないものがある。つまり、人間にとって数を区切ることは自然なことじゃなく、文化が生んだ知恵なんだ。」
前列の女の子が手を挙げる。
「じゃあ、“3”はどうやって出てきたんですか?」
「いい質問だ!」と先生は目を細めた。
「“3”を見分ける力は人類に特有じゃない。カラスやチンパンジーも“3つの餌と4つの餌”を見分けられる。これは“数概念”というより“直感的な数量感覚”だ。私たちが“パッと見て3個だとわかる”のと同じだな。」
先生は黒板に“subitizing(瞬時認識)”と書き、その横に「1〜4は直感で区別可能」と注釈した。
「つまり、数の起源は“直感”にある。しかし、それを記録して、共有して、言葉にしたとき、初めて“数”が誕生した。」
そう言って先生は机の引き出しから一本の長い棒を取り出した。棒には等間隔に小さな刻みが並んでいる。
「これは復元レプリカだが、本物は二万年前のアフリカで見つかった“イシャンゴ骨”と呼ばれる道具だ。刻みの並びは“11”“13”“17”“19”。なんと素数だと解釈する説まである。」
生徒たちから驚きの声が漏れる。
「彼らはすでに、自然の中に数のパターンを見つけていた。だが、彼らが“素数”という言葉を知っていたわけじゃない。大事なのは“記録”し“区別”することだ。」
先生は生徒たちに紙と鉛筆を配った。
「君たちも自分なりに刻み棒を作ってみよう。羊の数でも、今日食べたパンの数でもいい。大事なのは、刻みが“目に見える数の代わり”になるということを体験することだ。」
教室は静まり、鉛筆が紙を引っかく音が響く。ある子は「////」と4本の線を書き、5本目を「/」で束ねる。別の子は丸を並べて「10」を作る。
「そう、それが“数える”という行為だ。ここに“数の文化”が芽生える。刻みや印を仲間に見せれば、“今日はこれだけの魚を捕まえた”と伝えられる。つまり、数は“社会の道具”として発展したんだ。」
最後に先生はこう締めくくった。
「数の誕生は、単なる知能の進化じゃない。社会で必要になったから、記録され、言語になり、やがて数学へと成長していった。数とは、文化そのものなんだ。」
白板の横に並んだ石が、夕日の光を浴びて黄金色に輝いていた。