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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1907/2200

第65章 外交の取引 ― 見返りと地政学の賭け




 大阪の迎賓館は、戦時仕様に改装されていた。窓には防爆フィルム、天井には防音パネル。雨の筋が斜めに走るガラス越しに、無言で立つ警備員の影が見える。会議卓には各国の国旗と名札、赤いファイル。日本側は外務次官、復興庁長官、財務局長。そして末席に矢代隆一中佐。向かいには米国の国防長官と国務次官補、欧州主要国の外相連合、中東資源国のエネルギー相が陣取り、末席に一人だけ異質な姿があった。細い指でペンを弄ぶ女、国際仲介人サラ・ミラー。商社と国連を渡り歩いた、いわば“外交ブローカー”だ。


 議題は三つ。海上アクセス協定、軍事協力条項、資源アクセス。要塞都市の血流を担う航路、基地、燃料。どれも命綱だ。


 事務方が条文を読み上げる。

 「海上アクセス協定(MAA)第4条――『対艦・対空脅威が顕著な場合、供与国は対機雷戦部隊および護衛艦を派遣し、対馬海峡・宮古水道・バシー海峡に優先通行スロットを設定できる。航行情報はAIS偽装のうえ、サイクルは可変』」

 米側が頷く。「いいだろう。中国海空のA2/AD下では、時間窓を変えられるかどうかが生死を分ける」


 次は軍事協力条項。

 「共同使用施設に関する付属協定。平時は日本完全管理。有事は『限定区域』に限り供与国部隊の臨時使用を認める。交戦規則(ROE)は日本側司令官の承認を要し、作戦指揮は二重承認方式」

 外務次官がペンをトントンと叩いた。「主権ラインはこれ以上下げられない」

 そこでサラが紙片を滑らせる。小さく一行、“二重承認の片方は時間制限付き黙示承認に”。矢代は眉を動かした。電波妨害下で承認が遅れれば護衛が間に合わない。法と現場を繋ぐ、抜け道の一文。


 資源アクセスの場面では中東が主役だった。

 「LNG一千万トンを十年間、JCC基準に三割上乗せ。代わりに我が国企業に地下発電所の余剰熱回収プラントを建設させる」

 財務局長が「高すぎる」と言いかけたが、矢代は赤鉛筆で計算した。“ディーゼル500kW×16基、稼働率0.7、九十日分――最低燃料在庫は○○キロリットル”。答えは明白だった。

 「買え。止まれば要塞が死ぬ」


 昼休憩。廊下でサラが矢代に囁いた。

 「あなた方は平時と有事をきっちり分けすぎる。現実はその中間で揺れるのよ。文言で揺れ幅を包むべき」

 「揺れは現場の死に直結する」矢代の返答は短い。

 「だからこそ“承認不能なら事後通告で足る”と書き込むの。法と銃の間に橋を一本かけるだけで、生存確率は変わる」


 午後、欧州の外相が切り出した。

 「我々は次期国連会期で対露制裁決議を上程する。日本には共同提案国入りを求めたい。それが今回の大型融資と弾薬ライン支援の政治的対価だ」

 外務次官は迷った。旗を掲げれば敵対国の妨害は激化する。すでに港と空は限界だ。

 「共同提案はする。ただし第一項に人道条項を置く。“被占領地民間人の保護”を前面に」

 欧州代表は互いに目を合わせ、頷いた。順序が剣になることを彼らも知っていた。


 合意は見えた。だが米国防長官が椅子を引く。

 「一点追加する。“有事の自動アクセス条項”。地下の発射警戒区画と通信ノードに、事前合意リストの米側キーで即時入域を認めてほしい」

 会場は凍りついた。外務次官が「それは治外法権だ」と言い、復興庁長官が「地下動脈を他国の鍵で開ける気はない」と拒む。


 沈黙のなか、矢代が立ち上がりホワイトボードに線を引いた。“シャドー司令室”。

 「本体C2は日本の鍵で守る。ただし上層にミラー室を作る。鏡像情報を米側にリアルタイム供給し、入れるのはそこまで。本体は二重隔壁で分離する。有事の“自動”はミラー室の扉だけに効かせる」

 サラがすかさず補足する。「鍵は暗号分割。日本二、米一。三つのうち二で開く。入室記録は不可逆ログに残す。“入ったことは世界に晒される”仕様」

 米側の法務官が耳打ちし、国防長官が顎に手をやった。「シャドーで十分回るか?」

 矢代は頷く。「帯域は地下光回廊で確保する。電源も別系統。ミラーが焼かれても本体は生きる」


 交渉は再び流れた。海上アクセスは“優先スロット”に迅速再配分条項を加え、護衛艦の臨機反撃を日本側ROEに明記。軍事協力は“自動アクセス(ミラー室限定)+本体二重承認”。資源アクセスは価格バンド制で再協議条項を組み込み、中東側の顔を立てるため港湾保険に政府保証を上乗せした。


 夕刻。国連票取りも合意し、欧州案の前文に日本案の人道条項が据えられた。共同提案国一覧に“Japan”の文字が躍る。サラが小さく指を鳴らした。「これで欧州の議会が動く。あなた方の弾薬ラインに予算が流れる」


 署名の瞬間、非常灯が一度だけ揺れた。通信幕僚が駆け込み、「新潟外洋ルートに不明水中接近。しかし護衛のUUVが追尾し撤収を確認」と報告。国防長官が「だから鏡像の即時性が要る」と呟き、外務次官は無言で押印した。復興庁長官が続き、最後に矢代がペンを置いた。震えはなかった。


 会議は終わり、廊下に疲労の匂いが満ちる。サラがコートを羽織り、矢代に言った。「今日は三つの橋をかけた。海の橋、法の橋、心の橋。壊される前に補強を」

 矢代は曇天を見上げ、短く答える。「橋脚は地下に打つ。条文は敵弾を止めない。だが動ける余白をつくる」


 迎賓館を出ると、雨粒を切り裂いて赤色灯が走った。まだ乾ききらぬ条文のインク。それは未来へ一本の回廊を延ばす。しかし約束を動かすのは、現場の機械と汗と血――それだけだった。


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