第64章 弾薬・発電・水処理 ― 現地生産の品質問題
東京要塞都市の建設が動き始めてから、補給の考え方は大きく変わった。最初は「どこから運ぶか」だったが、戦況が深まるにつれ「どこで作るか」が問われるようになった。弾薬、発電機、水処理設備――これらを現地で生産できなければ、完成前に要塞は干上がる。だが、現地生産には必ず品質保証という壁が立ちはだかる。
「軍需品は一発の不良で部隊全体が吹き飛ぶんだ」
矢代隆一中佐の声は、会議室にいた全員の背筋を伸ばした。
復興庁が立ち上げた品質保証チーム(QAチーム)の初会合。壁のホワイトボードには太字で「LOT試験」「耐久試験」「不発率」と書かれている。出席者は防衛装備庁の技官、工兵隊の将校、欧州メーカーの駐在技師。そして机の端には国際監査団の姿もあった。
最初に問題となったのは、現地の仮設工場で生産した155mm榴弾だった。LOT試験で数発が不発。雷管からの火炎が炸薬に届かず、ただの鉄の塊と化した。
「不発率三パーセント……論外だ」
欧州の技師が顔をしかめる。国際監査団のカメラが冷徹に回り続け、会議室の空気はますます重くなった。
監査団の要求は止まらない。温湿度の記録、炸薬配合のトレーサビリティ、製造歩留まり。ひとつでも欠ければ「支払停止」という札を切られる。ラインで働く作業員の手は震え、監査官の質問に答えるたびにベルトコンベヤーが止まった。
「これは品質管理じゃなくて政治的監視だろ」
佐伯俊技官がぼやくと、矢代は首を振った。
「どちらでも構わん。要塞の命脈を握られている以上、従うしかない」
次に火急の課題として浮上したのが発電だった。地下要塞において電力は血液そのものだ。照明、換気、浄水、通信、兵器管制。電力が途絶えれば一瞬で生命維持は崩壊する。
工兵隊はディーゼル発電機を地下に設置した。しかし港からの燃料供給は危険すぎる。そこで矢代は山間部に燃料タンクを分散配置し、地下トンネルを通じてパイプラインで送る案を採用した。
だが初期試運転で異常が出た。ポンプ内部のシール材が粗悪で、三十時間で摩耗し燃料漏れを起こしたのだ。
「この臭気……引火すれば一瞬で火事だ」
安西洋平衛生兵が顔をしかめた。発電機室で火が上がれば酸素が失われ、数千人が窒息する。危機は紙一重だった。
さらに追い打ちをかけたのが水処理設備である。震災と核爆発で地下水は汚染され、重金属や放射性物質が混ざっていた。白井真菜が担当した浄水試験で、RO膜を通した水からセシウムが基準値を超えて検出された。膜の品質にばらつきがあり、一部ロットが規格外だったのだ。
「こんな水、避難民に飲ませられません!」
白井の声が震えた。監査団は即座に報告書をまとめ、本国へ「供与停止の可能性」と送信した。
転機は演習中に訪れた。現地生産の榴弾を装填した自走砲が火を噴いたが、着弾地点は沈黙。砲弾は不発だった。回収班が近づいた瞬間、もう一発が暴発。兵士二名が負傷した。
事故は監査団の報告書に即記録され、海外メディアが「日本の現地生産弾薬は不良」と報じた。世論は「支援打ち切り」「監査強化」と騒ぎ、臨時政府の支持率は揺れた。
夜、矢代は報告書を閉じて独り言を漏らす。
「戦場に必要なのは完璧じゃない。信頼できる最低限だ。しかし世界は完璧を求める……その狭間で、俺たちは立たされている」
事故を受け、監査の権限はさらに強まった。LOT試験は全ロットの三割に引き上げられ、発電機や浄水設備も日次報告が義務づけられた。現場の技師は疲労で青ざめ、作業員は休憩もろくに取れない。岡部慎吾一曹が現場でつぶやく。
「これじゃ戦う前に作業員が倒れる」
それでも矢代は迷わず言った。
「生産は命綱だ。監査を敵だと思うな。利用してでも最低限の品質を確保する。それが我々の仕事だ」
弾薬、発電、水処理――どれも欠ければ即死に直結する。数字ひとつ、工程ひとつが、要塞都市の存亡を左右していた。監査団の冷たい目と政治の圧力の中で、矢代たちは理解していた。完璧は幻想だ。だが最低限の信頼性を積み上げること、それだけが数百万の命を守る唯一の道だ、と。