第60章 ロビー戦と世論操作
東京再建計画は、すでに単なる土木工事の範囲を超えていた。各国の防衛産業や建設コンソーシアムは、資材や技術を売り込むと同時に、政治と世論をも巻き込む情報戦に突入していた。要塞都市をめぐる戦いは、地下ではなく、国会議事堂やメディアの紙面、SNSのタイムラインで進んでいた。
国会ロビーと企業代理人
臨時議会の廊下には、見慣れぬ外国人の姿が増えた。米国や欧州の防衛企業が雇ったロビイストたちである。彼らは最新のスーツに身を包み、名刺を交換し、議員会館のドアを叩いた。
「監査条件は国際標準です。日本だけが拒否すれば、支援の枠組みから外れる危険がある」
ある米国系ロビイストは、与党議員に低い声で囁いた。議員は渋い顔をしながらも頷く。背後で秘書がメモを取る――次回の予算委員会で、どの発言をすべきか指示が下される瞬間だった。
国内企業も黙ってはいなかった。大手ゼネコンの代理人は「雇用創出」という切り口で議員を囲い込み、地元建設会社の協力枠をちらつかせた。
「先生の選挙区に工事拠点を置けば、数千人規模の雇用が発生します」
選挙を控えた議員は、工事の必要性以上に「票」の数を計算していた。
世論操作 ― メディアの戦場
同時に、新聞とテレビは連日「地下要塞都市」を大きく取り上げた。与党寄りのメディアは「国を守る盾」と称賛し、野党寄りは「軍事利権の巣窟」と批判した。
特に波紋を広げたのは、ある欧州紙が報じたスクープだった。
《日本臨時政府、非公式供給ルートで軍需物資を調達か》
記事には匿名の証言とぼやけた映像が添えられ、SNSでは瞬く間に拡散した。
対抗するように、政府広報室は動画を公開した。暗い地下通路で避難民が整然と並び、配給を受ける姿。「守るべきは国民の命である」と字幕が流れ、最後に国旗が映る。演出は露骨だったが、一定の効果はあった。コメント欄には「生き延びるためなら仕方ない」という声と「また情報操作だ」という怒号が並んだ。
SNSと心理戦
SNS上では、政府系の「サイバー広報班」が水面下で活動を始めていた。匿名アカウントが一斉に「地下都市=未来都市」「再建=希望」というメッセージを流す。グラフィックデザイナーを雇い、CGで描かれた安全な居住区画の画像が拡散された。
一方で反対派も動く。元ジャーナリストや市民団体が「要塞都市は牢獄」「子どもたちを地下に閉じ込めるのか」と書き込み、デモの呼びかけを行った。実際、池袋で小規模な抗議集会が開かれ、治安部隊が即座に鎮圧した。ニュース映像に映ったのは、地下街へと連行される若者たちの姿だった。
国際的な世論戦
国外でも情報戦は熾烈だった。米国は国務省経由で「日本の防衛努力を全面的に支持」と発表し、同時に自国企業の技術優位をアピールするプレスリリースを流した。欧州連合は「国際融資の透明性確保」を強調し、アジアの一部は「日本の軍事化は地域不安定化を招く」と非難した。
国連でも討議が開かれ、ある加盟国の大使は演壇で言い放った。
「地下要塞都市は、防衛か侵略か? その境界は曖昧だ」
会場がざわめく中、日本代表は硬い表情で反論した。「我々は生存のために掘っている。核爆発と地震で都市を失った国民を守るために」
官僚と現場の温度差
復興庁の官僚たちは、連日のロビー活動と世論戦に疲弊していた。ある若手は上司に漏らした。
「議員は数字と世論ばかり気にしている。現場で必要なのは、換気シャフトの一本、燃料タンクの容量なんです」
矢代中佐は無言で図面を指差した。「シャフトの断面積が不足すれば、数百人が窒息する。それを新聞記事に書く者はいない」
佐伯俊も同じ思いを抱いていた。国際融資の条件で要求される「環境影響評価」の報告書を作りながら、彼は心中で毒づいた。「環境配慮をうたう融資団体は、実際に粉塵で咳き込む労働者を見たことがあるのか」
転機 ― 市民感情の揺れ
やがて、地下避難区画に暮らす市民の声がニュースに取り上げられた。二段ベッドで眠る母子、LED照明に照らされた仮設学校。
「ここで暮らすのは窮屈です。でも地上には戻れない。子どもだけは守りたい」
その言葉は支持派と反対派の両方を揺さぶった。要塞は牢獄か、避難所か。世論は二分され、調査会社のグラフは上下に振れ続けた。
結び
臨時政府は世論戦に勝利したわけではない。むしろ、支持と反発の両方を抱え込みながら進むしかなかった。だが一つ確かなのは――地下要塞都市は、もはや技術や資金だけでなく、情報と感情の戦場になったということだ。
矢代は図面を閉じ、低く呟いた。「銃も弾も、風も水も、人を生かす。しかし言葉一つで工事は止まる。戦場は地下だけじゃない」