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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15

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1896/2695

第54章 《医療要塞》



 深層C2の一角に設けられた臨時会議室で、青白い投影スクリーンに病棟の平面図が映し出されていた。換気ダクトの断面、陰圧室の気流ベクトル、滅菌ラインのフローチャート。床には安西洋平衛生兵、佐伯俊技官、白井真菜技術補佐、そして矢代中佐の重い影が落ちる。今日の議題は単純だが残酷だった――「医療要塞をどう作るか。誰を何人、どう救うか」。


 まず、設計要件から確認された。目標は90日間に最大1,200名(常時500床、非常時1,200床)を機能的に維持すること。主要モジュールは以下である。


・受付・トリアージゾーン(一次分離)

・緊急手術室(8室、陽圧/陰圧切替可能)

・集中治療室(ICU 20床)

・隔離病棟(陰圧個室×20)

・一般療養区(300床、二人部屋中心)

・救急前線処置(フィールドテント相当×3)

・医薬倉庫(冷蔵・冷凍チェーン対応)

・検査室(簡易CT、X線、血液化学、微生物)

・衛生・廃棄処理(汚染廃液処理能力:日量5㎥)

・心理ケア/臨床サポート室(小ホール、個別相談ブース)


 白井が図面上の配管経路を指でなぞる。

 「浄化は逆浸透膜+活性炭+紫外線滅菌の三段です。廃液は滅菌後、石灰固定して貯留。90日で最大450㎥の医療廃液を処理する設計です。ただし外部の放流ルートが繋がるまでは、一日最大5㎥が上限」


 佐伯は温湿度の管理計算を示す。

 「陰圧室は一時間当たり12回の換気、ICUは14回。温度は21±2℃、湿度40–60%が目標。火薬や燃料の近接を避けるゾーニングを徹底し、壁は鉛ライニングで放射線遮蔽を確保します」


 安西は担当者席で、設計数値を呑み込むように聞いていた。彼の任務は、ここで決まる「トリアージ基準」とその運用手順だ。会議はそれに移った。


 トリアージは四段階で定義された。

•赤(Immediate): 直ちに処置しなければ死に至る(外傷による大出血、開胸手術適応など)。

•黄(Delayed): 処置は必要だが、短時間の遅延が許される(骨折、多発軟部損傷など)。

•緑(Minimal): 軽症(切り傷、軽い熱傷等)。

•黒(Expectant/Non-survivable): 現有資源で救命の見込みが極めて低い(致死的多臓器損傷、高被曝など)。


 運用ルールは厳格だった。**「生存可能性 × 社会的機能(戦力・医療要員)×資源コスト」**の重み付けで点数化し、赤票の中でも処置優先順位を判定する。だが数字が、安西の胸の中で紙切れのように薄く震えた。


 「兵士優先」という単純な方針は採られなかった。佐伯が説明する。

 「モデルシミュレーションでは“戦力優先”が短期的には有利でも、長期持続性は低下します。市民の信頼が崩れ補給の喪失に繋がれば、結局全滅へ向かう。生存可能性を第一にすべきです」


 しかし現場では、兵站や防衛の必要性が常に影を落とす。矢代は短く言った。

 「戦力が残れば、補給路を守れる。補給路が守れれば医薬も届く。循環を断つ選択はない」


 シミュレーションの時間が回った。稼働テストで得たデータを使い、複数の大量傷病者シナリオ(空襲時の多発重傷、化学被害、耐性菌の院内アウトブレイク)を走らせる。安西はテーブルにあるダミー患者の属性と治療可能時間を読み上げ、判断を迫られる。画面には「生存率」「必要手術時間」「薬剤消費量」「ICU占有時間」が並ぶ。


 第一シナリオ――空襲で30名搬入。結果は厳しい。赤票は8名、うち3名は手術時間が長くICU占有率が高い。薬剤消費は一日で設計の12%を消費する見込み。安西は厳しい数値を前に声を絞り出した。

 「手術室は同時に二室しか使えない。外科チームは四時間で疲弊する。代替要員は衛生兵5名では不足です」


 佐伯が追加条件を提示する。

 「交代要員、外科担当は最低6チーム(各6名)を確保。看護は1:2基準で計算すると、夜間含め総人員は外科関連で200名必要になります」


 白井は水・電力の需要を計算した。

 「手術一件あたり、滅菌水で50ℓ、吸引・ドレナージ廃棄で20ℓ。人工呼吸器は1台で一日50kWh。これが連続すれば、蓄電池と発電機の負荷が跳ね上がる」


 議論は容赦なく続いた。誰もが理解している。医療は数行のプログラムでは成り立たない。人員、消耗品、インフラ。全てが一体になって初めて機能する。


 最も人を切り裂く決断は、安西の前に立ちはだかった。第三シナリオ――薬剤の枯渇が集中したタイミングで、赤票が同時に多数入る設定。点数化システムは、「若年戦力の救命」「妊婦の救命」「高被曝で救命可能性低い者の黒票」 といった選択を数式で示した。安西はモニターを見つめ、やがて膝を折って立ち上がった。


 安西は声を震わせ、目が潤む。彼は役者の泣き声に耐えられなくなっていたのではない。これまで衛生兵としての訓練で幾度となく「割り切り」を学んだが、ここで問われるのは机上の割り切りではない。誰の命を、どの尺度で選ぶのか――その答えは、薬とベッドだけでなく、人の顔や声を伴って出されねばならない。彼は小さくつぶやいた。

 「数字で比較するだけの仕事じゃない。目の前の人の名前を呼びたい」


 矢代はそっと近づき、肩に手を置いた。言葉は少なかった。だがその静けさが、安西の震えた心を一瞬だけ落ち着かせた。トリアージは冷徹でなければならないが、冷たさだけでは人は守れない――その矛盾が、この計画を重くしていた。


 議会は最終プランをまとめた。要点は以下の通り。

•稼働要員:医師外科チーム6、ICUチーム20(看護含む総人員:約420名、補助要員を含め約700名を確保)

•医薬品備蓄:抗生物質(広域系)30,000回服分、輸血パック1,500ユニット、麻酔薬・鎮痛薬類を設計値の120%確保(90日分換算)

•電力・水:ディーゼル発電機 500kW×2、蓄電池 1,000kWh、逆浸透膜処理設備(処理能力:日量50㎥)、医療廃液処理ユニット(隔離・滅菌能力:日量5㎥)

•トリアージ運用:点数化アルゴリズム導入(生存率重み3、社会的機能重み1、消耗コスト重み−1)、定期的に市民代表チームと医療倫理委員会でレビュー実施

•心理ケア:臨床心理師常駐(6名)、小規模集会ホール(収容50名)を設置、日次カウンセリングスロット設置

•工程:承認後30日で基礎工事・機器搬入まで、60日で稼働開始を目標(着工は発注・資材到着次第)


 承認会議で、矢代は最後の一言を発した。

 「計画はこれで良い。だが現場での判断は安西に委ねる。私はそれを尊重する」


 安西は詰めかけた設計図に手を触れ、深く息を吐いた。計画は整った。だがその紙の裏には、実際に誰が救われるかを決める瞬間が必ず待っている。彼は目を閉じ、静かに涙をぬぐった。涙は後悔ではなく、覚悟のしるしだった。


 着工は最短で四日後に予定される。資材の手配、医療器材の最終検収、要員の移送──数多のタスクが列挙され、デッドラインが赤で囲まれていく。地下の病院は紙の上で命を得て、やがてコンクリートと機械と人の汗で実体化する。安西は震える手で設計図を抱え、そして小さな声で呟いた。

 「誰を救うか――その問いを私が投げ続ける限り、この病院は医療であり続けるはずだ」


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