第51章 《弾薬庫と工房》
地下都市の生命線を守る「発射管区」が掘り進められる一方で、その背後を支える弾薬庫と工房の整備が始まっていた。発射管は牙にすぎない。牙を噛みしめるには、絶えず供給される弾丸が必要だった。
岡部慎吾一等陸曹は、ヘルメットを脱いで額の汗を拭った。彼の前に広がっているのは旧貨物線の車両基地跡――天井高15メートル、奥行き120メートルの広大な空間だ。長年の湿気で壁は黒ずみ、鉄骨には錆が浮いていた。だが岡部には、この暗い空洞が「心臓」になる光景が見えていた。
「ここに弾薬ラックを並べる。搬送用リフトを左右に二基、中央には工房スペースだ」
矢代隆一中佐が無言でうなずき、現場を一望する。
「弾薬搬送システムの試運転はいつだ」
岡部は即答する。
「三日後です。電動台車に載せ、発射管区まで15分で搬送できる見込みです。往復30分、昼夜稼働で1日あたり最大200トンまで」
佐伯俊技官が図面を広げ、湿度計算を示した。
「問題は湿度です。この空間は平均75%。火薬を保管するには高すぎる。吸湿すれば発射不良が起きる。除湿機を二重化し、壁に吸湿材を埋め込む必要がある」
白井真菜が補足する。
「温度は14度で安定してますが、夏場は地熱で20度を超えます。火薬庫としてはぎりぎりです。冷却配管を通し、空気循環を強化しなければ」
矢代は静かに頷き、短く命じた。
「優先度を上げろ。撃てても弾がなければ意味はない」
数日後、工事は始まった。岡部の号令で大型ラックが搬入され、鋼材で組み立てられていく。ラック一基の容量は155mm榴弾換算で100発。合計30基で3,000発を収容できる計算だった。通路幅は台車がすれ違える2.5メートルに拡張され、搬送リフトは耐荷重3トンで設計された。
試運転の日。岡部は手袋を締め直し、第一弾薬ラックから弾薬ダミーを台車に積み込む。重量は本物と同じ40キロ。電動台車が低い唸りを上げて動き出す。坑道の曲がり角で傾いた瞬間、岡部の顔に汗が浮いた。
「減速制御が甘い。荷崩れしたら即死だぞ!」
作業員が慌ててブレーキを調整する。速度を時速5キロに落とすと、台車は安定を取り戻した。
佐伯はデータを確認しながら呟いた。
「理論値より2分遅いが、安全を優先すべきだ。発射管区に届かず爆発したら全て終わる」
矢代は台車を見送り、低く言った。
「時間は縮められる。だが人命は戻らん。安全を最優先に設計しろ」
工房スペースの整備も進んでいた。旋盤、火薬充填機、雷管組立台。すべてが地下に持ち込まれ、遮音壁で囲まれている。白井はセンサーを取り付け、ガス濃度や火薬粉塵を常時監視するシステムを組み込んだ。
「ここで爆発が起きれば、都市は二度と立ち上がれません。安全装置は冗長化します」
岡部は工具を置き、作業員を見回した。
「俺たちはただの“倉庫番”じゃない。ここは都市の牙に血を流す心臓だ。失敗は許されない」
作業員たちの目が引き締まった。
夕刻、矢代が現場を後にする前、佐伯が静かに言った。
「中佐。弾薬庫を優先すれば、また市民区画の工事が遅れます。発射管区と同じ問題です。人の命をどこまで犠牲にするか――」
矢代は足を止め、振り返った。
「犠牲にしているのではない。守るために整えているんだ。撃てる力がなければ、市民を守る言葉はただの嘘になる」
その言葉は重く坑道に響き、鉄の匂いと汗に混じって消えていった。
弾薬庫と工房――それは都市が抑止力を持つための最後の環。だが同時に、人を守るための優先順位をめぐる矛盾を、さらに深く突きつける存在でもあった。工事着手までの数日、現場には常にその葛藤が漂い続けていた。