第50章 《発射管区》
霞ヶ関から北へ延びる旧地下貨物線跡。そのトンネル群は戦後長く放置され、壁は煤と埃に覆われ、線路は錆びていた。だが矢代隆一中佐の目には、そこが「発射管区」として蘇る未来が鮮明に映っていた。都市を守るための牙は、この闇の奥から吠えるのだ。
矢代は懐中電灯を掲げ、天井のクラックを見上げる。
「ここなら直径二メートルの発射管を掘削できる。既存の縦坑に繋ぎ、射出口を偽装すれば……敵は気づかん」
隣でヘルメットを被った岡部慎吾一等陸曹が頷く。
「施工は可能です。だが壁厚が不足してますね。爆風圧に耐えられず、初弾で崩落する危険がある。補強が必要です」
佐伯俊技官が資料を取り出し、冷静に口を開く。
「補強は鉄筋と繊維複合材で可能ですが、問題は別にあります。発射管を優先すれば、その分だけ市民避難スペースや医療区画の施工が遅れる。優先順位を誤れば、都市全体が弱体化します」
矢代は静かに佐伯を睨んだ。
「発射能力は即ち抑止力だ。敵に撃てると知らせることが、市民を守る唯一の盾だ。避難所だけ造っても、撃たれれば終わりだろう」
張り詰めた空気の中で、白井真菜が割って入った。
「でも発射時の排気ガスはどうするんですか。地下で燃焼すれば、一酸化炭素と高温ガスが充満して、人が住めなくなる」
岡部が図面を指さした。
「既存の換気シャフトを活かせます。耐熱ライニングを二重にして、冷却水を噴霧すれば10発程度は持つ。ただし水量が膨大に要ります」
白井は眉を寄せる。
「医療区画や循環系の水を削るしかない……」
沈黙。やがて矢代が低く言った。
「この国は追い詰められている。選択肢は二つ。撃たれるか、撃ち返すかだ。避難所の天井が厚くても、抑止がなければ瓦礫に変わるだけだ」
佐伯は深く息を吐いた。
「……理解しています。ただ私は、地下都市が“発射台だけの都市”になるのを恐れているんです。人を守るために造ったはずが、人を犠牲にして兵器を優先する。そんな矛盾を抱えたままでは、90日は持たない」
矢代は応えず、ただトンネルの奥に視線を投げた。
数日後、工事が正式に始まった。岡部の指揮で、旧貨物線の壁が削られ、鉄筋が打ち込まれていく。振動計が赤を示せば作業は中止され、粉塵が舞えば白井がセンサーを叩いて警報を鳴らした。掘削機の唸りが地下にこだまし、都市の奥深くに“牙の管”が形を現し始めた。
工事現場に立ち会った矢代は、心中で呟いた。――この管が完成すれば、東京は単なる廃墟ではなくなる。敵にとって恐怖となり、市民にとっては希望となる。だがその影で、佐伯の警告が胸に残り続けていた。
発射管区の完成は、都市の生命維持と抑止の間に横たわる最大の矛盾を象徴していた。