第49章 《地下連絡網》
東京地下都市が自立するために欠かせないのは「補給の血管」であった。しかし地上は瓦礫と放射線に覆われ、鉄道や道路は破壊されている。だからこそ、矢代隆一中佐は「地下に新たな連絡網を掘る」決断を下した。それは副都心と都心、さらには山岳補給拠点を結ぶ地下トンネル網――まさに都市の血流そのものだった。
第一期工事の対象となったのは、大手町から北に延びる「大宮ルート」だ。全長約28キロ、既存の地下鉄廃線を利用し、欠損部分を掘り直して繋ぐ。岡部慎吾一等陸曹が現場責任者に任命された。元重機オペレーターの彼は、トンネル工事の段取りを知り尽くしていた。
「まずは既存区間の点検だ。崩落危険箇所は300メートルごとにある。支保工を二重に組んで進める。水の浸入はポンプで排水しろ。換気ファンを忘れるな」
作業員たちが地下鉄跡に潜り込み、ジャッキで支柱を打ち込み、崩れかけた壁を吹き付けコンクリートで固めていく。落盤センサーが赤く点滅すれば、即座に退避する。瓦礫を搬出するための電動台車は一度に3トンを積載でき、坑道の奥から地上搬入口へとピストン輸送を繰り返した。
次に始まったのは「接続掘削」だった。既存線路が完全に途切れている区間は約6キロ。その区間をNATM工法で掘り進む。重機が入れない箇所では人力で穿孔し、爆薬を最小量だけ仕込む。爆破の轟音は地上の廃墟を揺らし、敵のセンサーに捕捉される危険もあった。そこで爆破は必ず夜間、外部での砲撃音や航空機通過に紛れて行われた。
ある夜、坑道内で小規模な崩落が発生した。土砂が一気に流れ込み、先頭で作業していた兵士二人が生き埋めになった。岡部は迷わず土砂に飛び込み、ショベルで掘り返した。
「酸素ボンベを回せ! 支保工を急げ!」
一時間後、兵士は血にまみれながらも救出された。だが全員の顔には「連絡網構築は命懸け」という現実が刻まれていた。
大宮ルートの完成と並行して、南の横浜ルートも着工された。こちらは長さ35キロ、港湾部から東京地下都市への直結を目指す。横浜側では医薬品や食糧が積み込まれ、電動貨物列車が地下を滑る。1編成20両、積載量は総計300トン。横浜―東京間を往復8時間で繋ぐ。だが排気と熱がこもりやすく、換気シャフトを随所に掘らねばならなかった。
さらに東の千葉ルートは燃料専用として設計された。臨海プラントから春日部外郭放水路の燃料湖まで、直径1.2メートルのパイプラインが掘削される。内壁は耐油ライニングで覆い、流量は時速3,000リットル。これにより一日あたり72,000リットルの燃料が都心に送り込める計算だった。
西の秩父ルートは最も困難だった。山岳地帯を貫通し、補給ハブと都心を繋ぐ延長42キロ。岩盤は硬く、掘削速度は一日わずか3メートル。だが矢代は言った。
「このルートが開けば、都市は90日ではなく半年持つ。必ず通せ」
工事現場は昼夜を問わず動き続けた。照明に照らされた坑道では火花が散り、鉄筋が組まれ、電動台車が砂塵を上げて走る。作業員たちは汗と煤にまみれ、口には常に防塵マスクを付けていた。誰もが知っていた。――この地下連絡網こそが、東京を生かす血管だと。
試運転の日、矢代と岡部は大手町の司令区画で貨物列車の映像を見守った。カメラに映し出されたのは、瓦礫に覆われた地上を避け、静かにトンネルを進む貨車群。車輪の響きは地下都市にとって心音のように聞こえた。
佐伯俊が報告する。
「試運転成功。大宮ルート経由で食糧50トン、医薬品15トン搬入確認。輸送効率は計画比92%」
白井真菜は安堵の息をついた。
「これで……90日間の持続に現実味が出ました」
だが北条雅彦官僚だけは渋い顔をしていた。
「国際社会に知られれば、“軍事地下網”と糾弾されます。これは防災施設ではなく要塞だ」
矢代は冷ややかに答えた。
「そうだ。要塞だ。それでも構わん。補給が途絶えれば都市は一日で死ぬ。血管を作らずにどう生き延びる」
その声は、鉄と岩盤に響き渡り、作業員たちの胸を震わせた。地下連絡網はすでに都市の一部となり、その鼓動は止められなかった。