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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1887/2364

第45章 《水と空気の循環》



 地下要塞都市の設計で最も難題とされたのは、弾薬でも燃料でもなかった。人間を三か月生かすための「水」と「空気」だった。燃料や食糧は備蓄できる。しかし呼吸する酸素と毎日の水は、絶えず循環させなければ尽きてしまう。矢代隆一中佐は、その現実を突きつけられ、深く唸った。


 大手町地下の仮設会議室。図面の上に並べられたのは、換気シャフトの断面図、地下水揚水システムの模式図、廃水処理施設の改造計画だった。白井真菜が前に立ち、レーザーポインタで図を示す。

 「現在、深層C2とその周辺で想定される人員は最大1,200名。その場合、一人あたり必要な酸素は一日約0.84kg。合計で1tの酸素が必要です。これを90日維持するには、換気シャフトの新設だけでは足りません」


 矢代が腕を組む。

 「ではどうする」


 白井は即答した。

 「二酸化炭素吸着装置を併設します。活性炭と水酸化リチウム、さらに再生可能な分子篩を使えば、換気不足の時間帯でもCO₂濃度を維持できます。ただし消耗材を山岳ハブから定期的に補給する必要があります」


 佐伯俊技官が資料に書き込む。

 「水酸化リチウムカートリッジの交換頻度は?」


 「24時間ごとに3ユニット。90日間なら270ユニット必要です。製造は難しくありませんが、補給路が途絶すれば即座に窒息の危険が出ます」


 矢代の顔に陰が差した。要塞都市の弱点が露わになっていく。


 一方、安西洋平衛生兵は水の問題を指摘した。

 「飲料水は? 千人規模なら一日3トンは必要です。90日で270トン。地下水脈だけでは足りません」


 白井は頷き、地下水揚水ポンプの図を示した。

 「奥多摩の山岳補給ハブから導水管を延ばします。揚水量は毎分25リットル。浄化装置を通し、逆浸透膜フィルターで処理します。さらに再利用システムを併設。尿と廃水を回収し、蒸留・濾過して再利用すれば、総使用量を半減できます」


 佐伯が眉を上げた。

 「つまり閉じた循環系か。ISSと同じ仕組みを地下に持ち込むわけだな」


 「はい。ただし完全循環ではなく、地下水をベースにするハイブリッドです。完全循環は衛生リスクが高すぎますから」


 安西は衛生兵らしく厳しい表情で言った。

 「それでも尿リサイクルには心理的抵抗がある。兵士は命令に従うが、避難民を収容したら混乱が起きます」


 矢代は唸り声を漏らした。

 「……士気を削る要因は最小にしたい。だが命と誇りを天秤にかける時が来る」


 議論は換気に戻った。佐伯はシャフトの掘削計画を説明する。

 「直径1.5メートルの換気シャフトを二本掘る。地上の廃墟ビルの地下から接続し、偽装排気塔を設置する。赤外線センサーを欺く冷却機構も併設する」


 白井が補足する。

 「排気にはHEPAフィルターを通し、微生物や粉塵を99.9%除去します。都市直下の線量は依然高く、放射性微粒子が侵入する可能性がありますから」


 安西が頷いた。

 「医療区画にも独立した空気循環を設けるべきです。感染症患者を隔離できなければ、全体が崩壊します」


 議論は現実の重みを帯びていった。燃料や弾薬があっても、水と空気を失えば三日と持たない。その事実は全員が理解していた。


 作業は数日後に始まった。坑道の壁を削り、大型ポンプと浄化装置が設置される。白井は水質センサーを調整し、塩素濃度と大腸菌の有無を確認した。

 「地下水は硬度が高いですね。カルシウムが多い。逆浸透膜が目詰まりしやすいので、前処理に軟水化装置を入れます」


 佐伯は換気シャフトの掘削現場を見上げ、汗まみれの作業員に声をかけた。

 「この深さだ、崩落の危険がある。二重の支保工を忘れるな」


 やがて地下都市には水の流れる音と、送風機の低い唸りが響き始めた。初めて人工の循環が生まれた瞬間だった。隊員たちは顔を見合わせ、わずかに安堵の笑みを浮かべた。


 だが矢代はその光景を見ながら、なおも考えていた。

 ――酸素1トン、飲料水270トン。数字に縛られた都市は脆い。敵に補給を断たれた瞬間、この循環は途絶える。燃料の湖よりも危うい脆弱性がここにある。


 その思考を遮るように、白井の声が響いた。

 「中佐。これで人は呼吸し、水を飲めます。90日間、この都市は生き続けられる」


 矢代は頷いた。地下に生まれた「水と空気の循環」は、都市の生命維持そのものだった。だが同時に、それは敵に狙われれば一撃で崩れる脆い壁でもあった。


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