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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
1886/2267

第44章 《燃料の湖》



 関東平野の地下深くには、すでに巨大な空洞が存在していた。埼玉・春日部市に広がる「首都圏外郭放水路」――全長6.3キロ、深さ50メートル、直径10メートルの立坑が五つ、そして野球場のように広大な調圧水槽。もとは洪水から首都を守るための施設だったが、いま矢代中佐の眼には「地下燃料庫」として映っていた。


 調査隊がエレベーターで降下すると、そこはコンクリートの神殿のような空間だった。巨大な柱が立ち並び、足音が長く反響する。岡部慎吾一等陸曹がヘルメットを外し、口笛を吹いた。

 「こりゃあ……戦車でも並べて置けますね。燃料タンクを入れるなら百基は軽い」


 佐伯俊技官は図面を広げ、計算を始めた。

 「水槽容量はおよそ67万トン。全て燃料に転用することは不可能ですが、区画化すれば軽油・JP-8・ガソリンを合計30万キロリットルまで貯蔵可能です。これは航空機部隊を90日稼働させるに十分な量です」


 白井真菜は慎重に付け加える。

 「ただし燃料は水とは違います。蒸気爆発を防ぐために内壁を二重ライニングに改修しなければなりません。換気も必須です。揮発ガスが充満すれば、一つの火花で全施設が消し飛びます」


 矢代は巨大な柱を見上げながら言った。

 「だからこそ、ここを“湖”と呼ぶ。静かに蓄え、外に気配を漏らさない。地上にタンクを並べれば衛星から一目で見抜かれるが、ここなら敵も容易には気付かん」


 作業はすぐに始まった。岡部の指揮で重機が投入され、床面を分割して燃料区画が整備された。防爆ドアが設けられ、各区画は独立して封鎖できる。燃料は地上からパイプラインで送られ、地下のタンクに分散される。佐伯が設計した仕組みは、洪水時に水を流し込む代わりに燃料を流し込むという逆転の発想だった。


 白井はセンサーを設置し、濃度と温度を常時監視するシステムを組み込んだ。

 「酸素濃度を下げるため、窒素ガスを充填します。これで揮発爆発のリスクは最小限に抑えられるはず」


 安西洋平衛生兵も現場に入り、防護マスクの必須化を告げた。

 「燃料蒸気は神経毒です。作業員には防毒マスクを常時装着させてください。火傷や中毒が出れば、三か月の維持どころではなくなります」


 作業員たちは汗だくになりながらも、黙々とタンクを設置した。重油の匂いが空間に漂い、やがて地下神殿は本当に「燃料の湖」と化していった。


 しかしリスクは常につきまとった。ある夜、溶接作業中に火花が飛び、センサーが警報を発した。隊員たちは息を呑んだが、幸い窒素封入区画のおかげで爆発は防がれた。矢代は冷や汗を拭いながら、低く呟いた。

 「一瞬の油断が、この都市を吹き飛ばす……」


 佐伯は静かに頷いた。

 「それでも燃料なくしては何も動きません。兵器も発電機も、C2も全て止まる。だからこそ、ここを命脈とするのです」


 北条雅彦官僚が後日、現場を視察に訪れた。暗い水槽にずらりと並ぶ銀色のタンクを見て、顔色を失った。

 「これは……軍事要塞の燃料庫そのものだ。国際社会に知られれば――」


 矢代は冷たく言い放った。

 「黙れ。援助も制裁も、この国を守ってはくれん。守るのはここにいる我々だ」


 白井は緊張した声で加えた。

 「ただし、90日維持を実現するには、毎日3,000リットル以上の発電燃料を消費します。節約運転でも限界は近い。補給線を山岳ハブと繋ぎ続けなければ意味がありません」


 矢代は頷き、巨大な空間を見渡した。柱の間に響く重機の轟音は、まるで地下都市の心臓が鼓動を始めたかのようだった。


 こうして「燃料の湖」は誕生した。洪水を防ぐために造られた施設は、今や都市を戦争から守るための貯蔵庫に変貌した。水を蓄えるはずの場所に、戦車や航空機を動かす血液が満ちていく。その光景は、国家が背水の陣に立つ姿そのものだった。



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