第43章 《深層C2の胎動》
大手町の瓦礫の下には、まだ沈黙していない地下があった。地上は核爆発と津波で焼き尽くされたが、地下鉄の網と深層トンネルは辛うじて息をしていた。矢代隆一工兵中佐はヘルメットのランプを灯し、崩落した天井の下を進んだ。空気は埃と焦げ臭さで重く、足元には水がしみ出していた。それでも彼の目は、地下の奥に眠る巨大な空間を見据えていた。そこが、東京再生の中枢――「深層C2」の候補地だった。
調査隊が辿り着いたのは、旧地下鉄丸ノ内線の廃止区間と、複数の防災トンネルが交差する地点だった。戦後に耐震補強を施され、壁は厚いコンクリートで覆われている。佐伯俊技官は計測器を操作しながら、低い声で言った。
「ここなら耐爆性能は十分です。上部の崩落荷重にも耐えている。空間を拡張すれば、司令部機能を三層構造で配置できます」
矢代は頷き、地図を広げた。赤い線で示されたのは、地下鉄の既存網と官庁街直下の連絡通路。
「霞ヶ関、永田町、国会議事堂……いずれも地上は消えた。しかし、この地下を生かせば、再び国家を動かせる。ここにC2を置く」
白井真菜技術補佐は、端末に映る換気シミュレーションを示した。
「ですが、中佐。ここは閉鎖空間です。最大収容は千名まで。それ以上は酸素供給が追いつきません。換気シャフトを掘る必要があります」
矢代は「承知だ」と短く答えた。だがその声には、換気や生活環境よりも「指揮系統を守る」という軍人の優先順位が滲んでいた。
一方、後方からやって来た北条雅彦復興庁官僚は、額に汗を浮かべていた。厚い地図と調査報告を手にしながら、声を荒げる。
「中佐、ここを司令部にするのは政治的に危険です! 地下都市は“防災都市”として国際社会に示さねばならない。C2なんて言葉を表に出した瞬間、軍事要塞と断じられ、援助も制裁も決まります!」
矢代は冷たく睨み返した。
「防災都市という看板は必要だ。だが中身は違う。我々は生き残るために、ここを抑止の牙に変える。政治家が何と説明しようが関係ない」
その強硬な言葉に、空気が張り詰めた。佐伯が眼鏡を押し上げ、口を開いた。
「中佐、技術者として言わせてもらいます。確かにここは強靭です。だが司令部だけを優先して人間の居住区や医療区画を後回しにすれば、持続性はありません。兵士と指揮官だけが生き残る都市は、都市ではない」
白井は小さな声で補足した。
「換気、浄水、廃棄物処理……全部揃えないと90日も持ちません。ここを“都市”と呼ぶなら、人を生かす設計が必須です」
矢代は黙り込んだ。軍人としての直感は「抑止こそ命を守る」と告げていた。だが技術者と若い補佐員の言葉は、彼に「都市」と「要塞」の間に横たわる深い矛盾を突きつけていた。
調査は続いた。坑道の奥に広がる空洞は、長さ100メートル、幅20メートル。そこを三層に仕切れば、上層に通信管制室、中層に指揮所、下層にシェルター兼医療区画を置ける。佐伯は壁の厚みを測り、補強プランを描き込む。
「ここにファイバーを敷設し、量子暗号通信を組み込む。敵の傍受は不可能になります。電源は外郭放水路に隣接した燃料タンク群から供給。持続可能なC2が完成する」
白井は空気循環の模型を示し、酸素濃度の推移を説明する。
「現状ではCO₂が30時間で危険値に達します。シャフトを二本掘削し、フィルタユニットを追加すれば、千人規模で90日維持可能です」
安西洋平衛生兵も加わり、感染症管理の課題を指摘した。
「密閉環境では一人の咳が全員に広がります。隔離病室と簡易手術室が必要です。ここを司令部にするなら、同時に“病院”でもなければならない」
軍人、技術者、衛生兵――それぞれの視点が交差し、深層C2の青写真が形を帯びていった。だが北条はなおも反論を続ける。
「あなた方は軍事を優先しすぎる! これは国家ではなく要塞国家になる。国際的孤立は避けられない!」
矢代は机を叩き、声を低く絞り出した。
「孤立しても構わん。孤立しても、ここに生き残る都市があれば敵は攻めきれない。首都は死んでいない――その一点を敵に突きつけられればいいのだ」
その声は重く、地下空洞に反響した。まるで眠っていた岩盤そのものが目覚め、東京の胎動を告げるかのように。