第39章 《サロスの発見:予測と権力》
宮殿の大広間は緊張に包まれていた。王の玉座の前に、祭司パネシと若き測量士ネフが呼び出されていたのだ。今宵は皆既月食が起こると彼らが予告していた。もし予告が外れれば、権威は失墜し、地位を追われることになる。
群衆の目は空に注がれていた。満月が東の空に昇り、白銀の光を放っていた。
サロス周期の知
パネシは王の前で低く語り始めた。
「食は恐怖ではなく、周期の中にある。月はおよそ十八年と十一日ごとに、同じ幾何の条件を繰り返す。これを“サロス”と呼ぶ」
ネフが補足した。
「二百二十三朔望月――それがサロスの長さです。朔望月は29.53日。これを二百二十三倍すると、十八年と十一日、さらに八時間に等しいのです。そのとき太陽・地球・月の位置関係はほぼ元に戻り、同じような日食・月食が起こるのです」
群衆がざわめいた。
「同じ恐怖が繰り返されるというのか?」
「恐怖ではなく、理です」ネフはきっぱり言った。
8時間のずれと可視域
だがパネシは慎重に言葉を重ねた。
「完全に同じではない。八時間のずれがあるため、食の見える地域は少しずつ西へ移る。今日ここで見える月食は、十八年前には遠い大地で見られていたのだ」
メリトが目を丸くした。
「じゃあ、世界のどこかで常に繰り返しているんだね!」
ネフはうなずいた。
「その通りだ。可視域はずれるが、周期は揺るがない。それがサロスの力だ」
予告の重み
やがて月が欠け始めた。群衆はどよめき、王は目を細めて二人を見た。
「見よ!」とパネシが声を張った。「月が影に呑まれていく! 我らの予告は真であった!」
群衆は恐怖と驚きに打たれ、膝を折った。
王は立ち上がり、重々しく告げた。
「天を読み、未来を告げる者は王権を補佐するにふさわしい。パネシ、ネフよ、その知をもって国を導け」
場は歓声に包まれた。
失敗の影
だが同じ頃、遠い村では別の予告が外れ、王の怒りを買った祭司が失脚していた。食を予測する力は権威を高めもすれば、失敗すれば破滅をもたらす。
ネフはその話を耳にし、呟いた。
「知は剣のようだ。正しく振るえば人を守り、誤れば自らを傷つける」
パネシは頷いた。
「だからこそ記録を重ね、誤差を減らさねばならぬ。サロスとメトン、二つの周期を組み合わせれば、暦と食をともに制御できる。これが未来を導く鍵だ」
予測と権力
皆既月食はやがて終わり、月は再び白さを取り戻した。群衆は安堵し、王は満足げに頷いた。
パネシは静かに締めくくった。
「月を恐怖の神話から解き放つのは記録と予測だ。しかしその力を誰が握るか――それこそが政治の核心である」
ケムとメリトは顔を見合わせ、未来を見据えた。
「月を読む力は、国を動かす力になるんだね」
「でもそれをどう使うかで、人々の暮らしは変わる……」
夜空に白く輝く月は、もはやただの天体ではなかった。周期を読み、未来を告げることで、人を支配し、国を形づくる権力の象徴となっていた。