第103章:深海の絶望、そして退艦命令
デビルフィッシュから放たれたMk-14魚雷が、漆黒の深海を突き進む。そうりゅう艦橋のディスプレイには、時空の歪みが検知されたポイントを示す波形が、不気味に脈動し続けていた。その時だった。
「艦長!魚雷接近! 左舷方向、高深度!探知距離、800メートル!」ソナー員の悲鳴に近い報告が、艦橋に響き渡った。
艦橋にいた全員の顔から、一瞬にして血の気が引いた。まさか、この海域で、このタイミングで魚雷攻撃を受けるとは。しかも、ここまで接近されるまで気づかなかった。
「回避運動!取舵一杯!急速潜航!」そうりゅう艦長は、反射的に叫んだ。しかし、彼の脳裏に、氷のような現実が突きつけられた。
「艦長!バッテリー残量、限界!急速潜航、回避速力、不可!機関出力、追従できません!」機関科士官の声が、絶望的に響く。
そうりゅうのAIPシステムは、沖縄からの長時間の隠密航行と、ウェルズ艦長との「チキンレース」による高負荷運用で、すでに稼働限界に達していた。残されたバッテリーは、辛うじて航行を維持できるレベルでしかなく、魚雷を回避するための急激な機動に必要な、瞬発的な大出力を生み出すことはできなかったのだ。
「馬鹿なっ…!」そうりゅう艦長は、唇を噛み締めた。自らの判断ミス。時間稼ぎの代償。
魚雷は、容赦なく迫る。ソナー員の報告が、恐怖を煽るように続く。
「距離、500!400!300!直進します!アクティブモードに移行!」
艦橋にいる誰もが、迫りくる死の影を肌で感じた。回避不能。
ドォォォン!!
強烈な衝撃が、そうりゅうの艦体を襲った。全身を貫くような、重く鈍い破壊音。鋼鉄が軋む耳障りな音と、断続的な爆発音が艦内を揺るがす。艦橋の天井からは、配線が千切れ、火花が散った。照明が瞬き、メインディスプレイに「DAMAGE CONTROL ALERT (損傷警報)」の赤い文字が点滅し始めた。
「被弾!左舷中央部!急速浸水! 第五区画、第六区画!深度計、異常上昇!艦尾沈下、喫水線が急激に変化中!」ダメージコントロールチーフの報告は、悲鳴に近いものだった。
艦内にけたたましい浸水警報が鳴り響く中、そうりゅうは急速に艦尾を沈め始めた。平衡を失い、艦体が不規則に傾斜する。
「ダメージコントロール班!直ちに被弾区画へ急行!防水扉閉鎖、ハッチを完全にロックしろ! 浸水を食い止めろ!」副長が叫んだ。
しかし、機関科士官の声が、その努力を打ち砕く。「艦長!主配電盤、損傷!電力が不十分なため、排水ポンプが最大稼働できません! 電動防水扉も、制御不能!手動閉鎖を試みますが…!」
絶望が、艦橋を支配した。電力がなければ、現代潜水艦のダメージコントロールは機能しない。彼らは、最新鋭の兵器を操りながら、基本的な生命維持機能すら失いつつあった。艦体が傾き、制御を失って深海へと引きずり込まれていく。艦内には、水の流入するおぞましい音が響き渡り、生存への可能性が急速に失われていく。