第35章 《暦の発明:太陰月と太陽年の衝突》
春の収穫祭をめぐり、村の広場は騒然としていた。太鼓が鳴り響くはずの日、まだ穂は青々として刈り取れる状態ではなかったのだ。
「暦が間違っているのではないか?」
「いや、祭司がずらしたのだ!」
農民たちは怒りを込めて叫び、長老たちに詰め寄った。
太陰月のリズム
祭司パネシは静かに手を上げ、説明を始めた。
「我らが用いてきた暦は月の満ち欠けを基にしている。新月から次の新月までを“ひと月”と数えれば、ほぼ29日半。その十二か月を積み重ねると一年は354日ほどになる」
ケムが指折り数えた。
「でも太陽の巡りは365日……差が出るね」
「そうだ」パネシは頷いた。「月の暦と太陽の年は、毎年十一日の差を生む。このままでは祭の日が季節とずれてしまう」
古代文明の工夫
パネシは砂地に三つの例を描いた。
「メソポタミアの祭司たちは“太陰暦”を使ったが、季節のずれを正すために時折“閏月”を加えた。殷や周の時代の中国でも“太陰太陽暦”を編み出し、農耕儀礼を季節に合わせた。エジプトでは独自に一年を12か月×30日とし、さらに5日を加えて365日とした。これが太陽暦の始まりである」
メリトは目を丸くした。
「つまり、国や地域ごとに“月と太陽をどう折り合わせるか”で暦が違ったんだ!」
メトン周期の知
パネシはさらに続けた。
「ギリシアの学者メトンは、十九年で太陽年と太陰月が再び重なることを見出した。十九太陽年は6939日、235朔望月もほぼ同じ長さだ。これを“メトン周期”と呼ぶ」
ホルが感心したように言った。
「十九年の周期なら、月と太陽のずれをうまく調整できるのだな」
「そうだ。だがこの知を暦に組み込むには、高度な計算と世代を超えた記録が必要だった。だから暦を扱う祭司や王は、共同体で絶大な権威を得たのだ」
暦をめぐる争い
しかし村では対立が表面化していた。
若い航海士ネフが声を張り上げる。
「暦は実用で決めるべきだ! 潮と月を見れば十分だ。なぜ複雑な計算で農の時期を縛る?」
対する長老アフは反論した。
「いや、暦は共同体をまとめる法だ。収穫期を祭で定めねば、人々は勝手に刈り取り、秩序が乱れる」
村人たちは二派に分かれた。閏月を入れるか否か、祭を延期するか強行するか――議論は政治の場に持ち込まれ、派閥争いに発展した。
暦と権威
パネシは重々しく結んだ。
「暦は単なる日付ではない。季節を読む知、農耕を支える力、そして共同体を治める権威そのものだ。月と太陽の衝突をどう調和させるか――その答えを示す者こそ、支配者となる」
ケムとメリトは顔を見合わせ、深くうなずいた。
「暦って、ただの数字じゃないんだね」
「うん。人を動かす力そのものなんだ」
その夜、月は雲間から顔を出し、静かに光を放った。人々は暦をめぐる争いの渦中にあっても、天の秩序だけは揺るがぬことを感じていた。