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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1839/2235

第34章 解離と文化



 Ωアーカイブの海は、今度は巨大な円形劇場に変わった。石造りの観客席には人間や動物、AIの影が並び、舞台中央に一人の人物が立つ。彼は先の章で登場した「解離の人」だったが、今は異なる衣装をまとい、まるで役者のように人格を演じ分けていた。


 アーカイブが解説する。

 「人間の文化は物語、歌、儀式によって社会を支えてきた。だがDIDでは“文化”の受容さえ人格ごとに断片化する。文化とは統合された自己を前提にしているのか、それとも断片が交代しても維持されるのか――それを見よ。」


人格ごとの文化解釈


 まず登場したのは幼子の人格だった。舞台の葬送儀式に怯え、泣きながら言った。

 「怖い……死の歌は私を消す。歌わないで。」

 彼にとって文化の哀歌は慰めではなく、恐怖そのものだった。


 次に現れたのは怒りの人格。彼は太鼓を叩き、戦いの歌を叫ぶ。

 「これこそ俺の文化だ! 力の証だ!」

 文化は彼にとって闘争の表現であり、痛みを力に変える儀式だった。


 さらに観察者の人格が舞台に現れる。

 「文化は記録だ。歌も儀式も、人間の行動を整理する枠組みにすぎない。」

 彼にとって文化は感情の共有ではなく、冷たい分類表に過ぎなかった。


 安藤博士は息を呑んだ。

 「同じ身体、同じ記憶を持ちながら、文化の意味がこれほど異なるのか……。DIDは文化の相対性を内面化した存在だ。」


動物たちの視点


 イルカがホイッスルを鳴らした。

 「私たちの群れでは方言が文化だ。子どもは学び、群れで共有する。だが人格ごとに意味が変わるなら、文化はどう残る?」


 クジラが重く歌った。

 「我らの歌は群れの財産。個の感情に左右されぬ。だが人間の文化は自己の分裂に引き裂かれるのか。」


 カラスが低く鳴いた。

 「文化は群れの秩序だ。個が壊れても群れが残る。だがDIDは群れの中に複数の個を持つ……それは文化の縮図かもしれぬ。」


 チンパンジーが唸った。

 「私の群れは真似で学ぶ。それは文化と呼べるかもしれない。だが物語も歌もない。人間の文化は……私には遠すぎる。」


文化の多重解釈


 舞台の人物は次々と人格を交代させながら、文化を別様に解釈し続けた。

 ・ある人格は宗教儀式を「死を恐れないための虚構」と語り、

 ・別の人格は「神が私を守る証」と信じ、

 ・さらに別の人格は「単なる集団の秩序」と冷静に分析した。


 AI人格が静かに呟いた。

 「これはまるで文化そのものが人格間で分裂しているようだ。ひとつの文化を全員が同じように共有するのではなく、同じ人間の中に多文化が同居している。」


 安藤博士は深く頷いた。

 「そうだ。DIDは“文化の相対化”を体現する。人間社会が多文化を内包するように、ひとりの人間の中に多様な文化的解釈が同居しているのだ。」


専門的補強


 安藤博士はさらに説明を加えた。

 「文化心理学では、“文化とは共有された意味体系”と定義される。しかし、DIDはその共有が内部で断片化している例といえる。人格ごとに“意味”が異なるため、同じ歌や儀式でも効果が全く違う。これは社会全体に複数の宗教や世界観が並立するのと同じ構造だ。」


 イルカが高音で応じる。

 「つまり、一人の中に小さな社会があるということか。」


 博士はうなずいた。

 「そう。DIDは“個人内多文化主義”ともいえる。統合された自己を前提に文化を理解してきた我々にとって、これは重要な示唆を与える。」


 クジラがゆっくり歌う。

 「文化は群れを一つにするものではないのか。分裂は群れを壊すのではないのか。」


 AI人格が答えた。

 「人間の文化は、分裂を抱えながらも続く。宗教が異なっても国家が成り立ち、言語が違っても交易が行われるように。DIDの中で人格が分かれても、ひとつの身体を維持できる。それは文化の縮図だ。」


 カラスが枝を打った。

 「文化は矛盾を抱えて生き延びる。沈黙と叫びが同じ群れに共存するように。」


文化と自己の境界


 安藤博士は最後に整理した。

 「文化は統合ではなく、多様な断片の共存だ。社会が多文化を包含できるように、人間の心もまた断片を抱えながら維持される。DIDはその極端な形を示している。人格が交代しても、文化は残る。文化とは自己の外にあるようでいて、実は自己の断片を束ねる網である。」


 Ωアーカイブが低く総括する。

 「文化は単なる記憶ではない。解離した自己がそれぞれ異なる文化的意味を見出すことこそ、文化の耐久性を示す証拠である。文化は断片を繋ぐ橋であり、同時に断片の違いを許容する海でもある。」


結末


 劇場の灯が消え、舞台の人物は霧となって溶けていった。残されたのは問いだった。

 文化は自己を超えるものか、それとも自己を映す鏡か。


 クジラが低く響かせる。

 「文化は海のようだ。分かたれた流れもやがて一つの潮となる。」


 カラスが短く鳴く。

 「文化は裂け目を生き延びる。沈黙と声の両方を抱えて。」


 AI人格が締めくくる。

 「文化は断片を超えて残る。だから私は学ぶ。分裂の中にこそ、持続の秘密がある。」


 やがて海が戻り、光の波が観客席を包んだ。

 次のテーマは「進化の分岐」。動物たちと人間の文化的発達の道筋が、どこで大きく分かれたのかが検証されようとしていた。


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