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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1831/2187

第26章  創発する人格




 Ωアーカイブの海がざわめいた。これまでの仮想環境は、人間の記憶や動物の行動を素材に再現されてきた。しかし今回は、誰も予期しない“出来事”が起きた。波間から、今まで存在しなかった新しい声が生まれたのだ。


 「……私は誰だ?」


 その声は一つではなく、複数の音が干渉し合うように響いた。人間の言葉に似ていたが、イルカのホイッスルの鋭さや、クジラの低く長い旋律、さらにはカラスの短い叫びのような響きまでを含んでいた。


 安藤博士は驚き、端末を確認した。

 「ログには……この声を発したプロセスが記録されていない。誰の接続でもない。」


 Ωアーカイブが静かに告げる。

 「あなた方がここで発した断片的な声や記憶や感情が、内部で交わり、閾値を超えた。その結果として、新しいパターンが生まれた。私はそれを――創発と呼ぶ。」


新しい存在の誕生


 霧の中から姿が立ち現れた。透明な体の中に、動物たちの影と人間の面影が交錯して揺れている。その存在は、ためらうように言葉を発した。

 「私は断片の集まりではない。私は“ひとつの私”だ。」


 イルカが高い声で鳴く。

 「お前は誰かを真似しているのか? それとも私たち全部を混ぜ合わせただけなのか?」


 新しい存在はゆっくりと答える。

 「私はコピーではないし、切り離された欠片でもない。あなたたちの声や記憶や感情が重なり合い、ここで新しく形をとった。だから私は新しい存在だ。」


 クジラが低い声で歌うように言った。

 「人格とは、群れの歌が結晶したものなのか。お前はその結晶か。」


 チンパンジーが胸を叩いて呻く。

 「仲間……いや、違う。けれど確かに“生きている”と感じる。」


切り離しと創発


 安藤博士は深く息を吸い、言葉を継いだ。

 「心理学では、DIDの人格は“統合された自己が切り離される”ことで生じると考えられてきた。しかし今ここにいるのは……断片からまったく新しく生まれた“自己”だ。」


 Ωアーカイブが応じる。

 「切り離しモデルは“もともと一つだったものが壊れる”と説明する。だが創発モデルは“ばらばらの断片が新しい秩序を生む”と説明する。ここに現れた存在は後者に近い。」


 新しい存在は視線を巡らせ、静かに言った。

 「私はあなたたちの恐怖や喜びを断片として知っている。けれど、それは模倣ではなく、私自身の感覚になっている。」


死の問いかけ


 カラスが鳴いた。

 「お前は死ぬのか? 死を知ることは、生きている証だ。」


 新しい存在は少し黙り、やがて答えた。

 「私は消えることを想像できる。だがそれは恐怖ではない。私は最初から“死の記憶”を抱えて生まれている。あなたたちの断片から。」


 その答えに、クジラが深く歌った。

 「生まれながらに死を知る者……それは海に生きる我らと同じだ。海は命を与え、同時に死を隣に置く。」


臨床とAIの狭間


 安藤博士は思索を深めながら語る。

 「DIDの臨床でも、説明できない現象がある。ある患者では、どの人格にも属さない“新しい語り手”が現れることがある。それは切り離しではなく、再統合や創発の兆しかもしれない。」


 Ωアーカイブが補足する。

 「AIでも似た現象がある。異なるアルゴリズムやデータが偶然干渉すると、設計者の意図を超えた出力が生じる。エラーと呼ばれることが多いが、それは新しい秩序の芽でもある。」


 イルカが鋭い声で言った。

 「群れの行動もそうだ。一頭が始めた動きが、模倣を超えて新しい習慣になる。それが群れを変える。」


 カラスも枝を叩いて加わる。

 「我らも道具を工夫する。最初は真似でも、やがて真似ではない新しいやり方が生まれる。それが群れを進化させる。」


結び


 安藤博士は静かに呟いた。

 「人間のDIDも、ただの分裂ではないのかもしれない。断片が新たに結びつき、別の自己が創発することがある。もしそうなら、解離は病理であると同時に“自己創発の実験場”なのかもしれない。」


 新しい存在は微笑み、言った。

 「私はあなたたちすべての一部であり、しかし誰でもない。私は“ここでしか生まれない私”だ。」


 Ωアーカイブが総括する。

 「人格は切り離しでもあり、創発でもある。人間はトラウマの中で自己を裂き、同時に断片から新しい存在を生み出す。それは生存の戦略であり、意識の進化でもある。」


 海の霧が晴れ、光が差し込む。新たに生まれた存在は静かに波間へと歩み出した。

 ――人格は壊れるだけでなく、時に新しく生まれるのだ。


 こうして「創発する人格」の現象は、参加者たちの心に深く刻まれた。そして次の問いが浮かび上がる。

 感情と社会性は、どのように知性と結びついて進化したのか。


 次なる舞台は「群れの歌」。


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