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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1829/2290

第24章  死の境界線



 Ωアーカイブの海は暗く沈み、波間に冷たい風が走った。水平線の彼方に黒い影が現れ、やがてそれは一体の人間の姿となった。先ほどの解離シミュレーションで登場した人物――だが今回は、人格ごとに異なる「死の感覚」を語り始める。


 最初に前に出たのは怯える幼子の人格だった。

 「死ぬのは怖い。光が消えて、もう戻れない。死は私に属する。」

 その声は震えていた。


 次に現れたのは怒りの人格。

 「死? それは俺には関係ない。死ぬのは別の奴だ。俺は残る。」

 彼は死を自分の問題と感じていなかった。


 最後に現れた冷静な観察者が淡々と告げた。

 「死は統計だ。ある人格が消えても、全体は残る。死は個に属さず、集合に属する。」


 安藤博士は息を呑んだ。

 「……DIDでは、死の認識が人格ごとに分裂する。ある者は恐怖し、ある者は切り離し、ある者は相対化する。」

 つまり「死=自己の意識の終焉」という通常の理解は、“統合された自己”があって初めて成立するのだ。


クジラ ― 哀悼の歌


 そのとき、クジラが深い歌を放った。低周波が空間全体を震わせ、やがて旋律は哀悼の調べに変わる。

 「仲間が死んだとき、私たちは歌う。その歌は群れ全体を包み、死者を海へ送り出す。死は個の終わりであり、群れの記憶の始まりでもある。」


 研究で観察されたように、ザトウクジラの歌は数か月ごとに変化し、群れ全体に伝播する。死を契機に歌が変わる場合があり、それは生者にとって死者を忘れないための記憶装置でもある。クジラにとって「死者の歌」は、単なる感情表出ではなく、群れの文化そのものを更新する営みなのだ。


イルカ ― 欠落と混乱


 イルカが高音のホイッスルを重ねた。

 「私たちは仲間の死に混乱する。声を上げ、群れが乱れる。だが、それは儀式ではない。ただ“欠落”に反応するだけだ。」


 実際、野生のイルカは仲間の死体を長時間支えたり、母イルカが死んだ仔を押し続ける行動が記録されている。それは「死を理解していない」証拠にも、「死を拒絶している」証拠にも見える。彼らは喪失に反応するが、それを社会的儀式に変換する術は持たない。だから死は、終わりの実感ではなく「不在の持続」として群れに残るのだ。


チンパンジー ― 接触と放棄


 チンパンジーが胸を叩いて言った。

 「仲間が動かなくなると、私は触れる。揺さぶる。だが、やがて去る。死を知っているのか、わからない。」


 フィールド観察では、母チンパンジーが死んだ子を数日間抱き続ける事例がある。仲間の死体を守るように集まる群れも報告されているが、やがて彼らは去り、死体は放置される。彼らは死を「不変の停止」として部分的に認識するが、それを超えて「儀式」や「物語」に昇華することはできない。死は情動を動かすが、文化を生まない。


カラス ― 沈黙の葬式


 カラスが鋭く鳴いた。

 「私たちは集まる。仲間が死ねば、群れ全体で静止する。敵を探し、学び、記憶する。これを人は“葬式”と呼ぶ。だが我々にとっては、死を社会で共有する行為。」


 この「葬式行動」では、数十羽が死体の周囲に集まり、数分から数時間動かない。科学者はこれを「危険学習」と解釈するが、観察者には哀悼の儀式に映る。人間の葬儀と同様に、死は「社会的な出来事」として記録される。カラスは心の理論を持たないが、群れ全体で死を意味づける点で、人間の儀式に最も近い行動を示すのかもしれない。


統合と分裂


 安藤博士は深くうなずいた。

 「人間の死の認識は“私が死ぬ”という統合された自己の前提に依存している。だがクジラは歌で群れとして死を包み、カラスは行動で社会的に死を共有する。イルカやチンパンジーは死を部分的に理解しつつも、完全には意味づけない。DIDでは“死ぬのは誰か”が人格ごとに異なり、恐怖は相対化される。」


 Ωアーカイブが静かに言葉を重ねた。

 「死は意識の地平線。だがその見え方は、自己が統合されているかどうかで変わる。

 統合された自己にとって死は絶対の終わり。

 分裂した自己にとって死は断片的なもの。

 群れにとって死は記憶の始まり。

 ――死は一つではない。」


結び


 その言葉に呼応するように、海の上に光景が広がった。人間の葬儀の場面だ。棺が運ばれ、参列者が祈りを捧げる。そこに重なるようにクジラの群れが歌い、カラスの群れが静止している。三つの種がそれぞれの仕方で「死を意味づける」のだ。


 安藤博士は思わず口にした。

 「死を理解することは、自己と他者をどう結びつけるかの問題でもある。だから死の認識は、意識と社会性の交点にある。」


 イルカが小さく鳴いた。

 「私は死を完全には理解しない。だが仲間が消えたとき、群れ全体が揺れる。感情だけが残る。」


 クジラが再び低く歌った。

 「死は終わりではなく、歌の理由だ。死なければ歌う必要もない。」


 Ωアーカイブは海を暗く閉じ、低い声で総括した。

 「解離は死を相対化する。統合された自己は死を絶対化する。群れは死を社会化する。

 ――あなた方にとって、死とはどれなのか。」


 その問いが全存在の胸に突き刺さったまま、海は再び光を帯びた。次なるテーマは「侵入」。人格と人格、あるいは種と種の境界を越えて、心が流れ込む体験である。


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