第22章 言葉の重さ、子どもの軌跡
仮想海の空が淡い光を放ち、地平線に一枚の舞台が浮かび上がった。そこには幼い子どもたちの姿が再現されている。Ωアーカイブが示した次のテーマは「発達心理学」だった。
「人間は、どのように他者の心を理解するようになるのか。」
AIの声は硬質でありながら、どこか教師のように優しく響いた。
自己認識の芽生え
舞台に現れたのは二歳の子どもだった。鏡の前に立ち、鼻に赤い印をつけられている。彼は最初、鏡の中の赤い印を指さし、不思議そうに笑った。次の瞬間、自分の鼻に手を伸ばして印を拭い取った。
「これは……私だ。」
――自己認識の芽生え。ここに至るまでに二年を要する。
誤信念課題の壁
次に登場した三歳児は、机の上の箱に小さな人形を入れる課題を与えられた。人形は見ている間に箱の中へ隠される。だが子どもが一瞬目を離した隙に、人形は別の場所へ移された。戻ってきた人形は最初の場所を探すだろうか?――これが誤信念課題である。
三歳児は迷わず「新しい場所を探す」と答える。現実に引きずられ、他者が「古い場所に人形がある」と誤解する可能性を想像できないのだ。
「彼らには自己はある。しかし、他者の心の中の“誤り”を読むことはまだできない。」とΩアーカイブが解説した。
誤信念を超える瞬間
四歳から五歳の子どもが登場する。今度は同じ課題で「古い場所を探す」と答える。
「人形は見ていないから、知らないんだ。」
この瞬間、子どもは他者の視点と自分の視点を分けて考えられるようになった。
安藤博士は息を呑んだ。
「ここで初めて心の理論――Theory of Mind――が立ち上がる。」
さらに六歳から七歳になると、子どもは皮肉や嘘を理解するようになる。舞台上で母親が「まあ、上手に散らかしたわね」と言うと、子どもは母の言葉の裏を読み取り、叱責の意味を察する。
「ここからは二次の誤信念課題。『AはBがCを誤解していると信じている』という入れ子構造を処理できるようになる。」
AIは冷静に説明したが、その進化的意味は重い。
他種との比較 ― イルカ・クジラ・チンパンジー・カラス
ここで舞台に動物たちが姿を現した。
イルカが高音のホイッスルを鳴らした。
「我々は仲間の声を識別し、協力して狩りをする。仲間が何を“知っているか”は理解できる。だが“誤っているかどうか”は分からない。声は区別と合図にすぎない。」
実際、研究者たちはイルカが仲間の行動を先読みする能力を確認している。しかしそれは「誤解の推測」ではなく「直前の動きの予測」に過ぎない。人間の子どもが4歳前後で獲得する誤信念理解に相当する段階には至らないのだ。
クジラが重々しく応える。
「私の歌は群れをつなぐ。旋律は変奏され、遠い仲間へ届く。だがそれは誤信念を理解する歌ではない。死を共有し、群れの感情を束ねる歌にすぎない。」
ザトウクジラの歌は人間の音楽に近い構造を持つが、そこには「他者の誤りを想定する心」はない。感情は共鳴するが、心の中の“ズレ”を計算する文化は存在しない。
チンパンジーが拳を握って言った。
「私は仲間の欲求は読む。餌を欲しているか、怒っているかは分かる。だが“誤解”までは見えぬ。」
彼らは観察を通じて協力し、道具も使う。だが他者が「誤って考えている」という入れ子の心は理解できない。これは人間の3歳児の段階に近い。
カラスは短く鳴いた。
「仲間が死ねば集まる。沈黙して学ぶ。だが仲間が誤っても、私は気づかぬ。」
彼らは道具を使い、学習を共有するが、他者の誤信念を推測することはできない。死の認識はあるが、心の誤解を物語化することはできない。
安藤博士は深く頷いた。
「なるほど……鏡映認知はイルカやカラス、ゾウにも見られる。だが“誤信念”を理解できるのは人間だけだ。これは言語と文化が作り出した特異点だ。」
言葉と音楽の根
舞台の中央に、人間の親子が現れた。母親が子どもに絵本を読み聞かせている。リズムと抑揚に満ちた声は、まだ意味を知らぬ子どもの心を静め、共鳴させていた。
Ωアーカイブが静かに語る。
「言語は意味を伝える装置だが、その根には音楽的なリズムがある。人間の子どもはまず母の声に同調し、やがて言葉を学び、最後に他者の心を理解する。」
安藤博士は胸の内で思う。
――言葉は重い。意味を運ぶだけでなく、他者の心を想像させる重さを持っている。
音楽は感情を同期させ、言語は誤解を共有させる。その二重の基盤が人間を人間たらしめたのだ。
結び
鏡の章で芽生えた問いが、ここで確信に変わった。
「自己を知ること」と「他者を知ること」は別の道筋を持つ。そして言語こそが、その道を橋渡しする。
空間の光景が薄れていき、再び海の波が広がる。
次なるテーマは――「解離」。
自己が一つにまとまらず、断片に分かれてしまうとき、人間の心はどのような道を歩むのか。