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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1826/2364

第21章  歌と吠えとさえずり



 Ωアーカイブの海は再び静まり、空間の中央に巨大な音響ホールのような構造が浮かび上がった。壁も天井も存在せず、ただ透明な波紋と光の柱が音を増幅する装置として立ち上がる。アーカイブは次なる課題を告げた。

 「音のかたちを示せ。あなた方の“声”が、どのように世界をつなぐのか。」


 最初に声を放ったのはザトウクジラだった。

 深海を震わせるような低音が響き、やがて高音域のフレーズが重なり、反復と変奏が織りなされていく。旋律は数分にわたり続き、聞く者の心を引き込んで離さない。

 「これは私たちの歌。群れをつなぎ、遠い海域の仲間へと響かせる。旋律は変わり、また戻る。世代ごとに少しずつ形を変える。」

 その歌はまさに人間の音楽に酷似していた。テーマの提示、リズムの反復、変奏と展開、そして再帰。


 イルカが鋭いホイッスルで応答した。

 「私たちは歌わない。だがクリックとホイッスルを組み合わせ、仲間を区別し、場所や意図を伝える。音楽ではなく“名前”に近い。」

 彼らの声は旋律的ではなく、情報の符号に近かった。個体識別用のシグネチャーホイッスルは、言語的な「固有名詞」の原型にさえ思えた。


 次に現れたのは一匹の犬だった。Ωアーカイブが地上の哺乳類代表として接続したのだ。犬は耳を伏せ、しばらく環境を嗅ぐようにしていたが、やがて人間の声を模したように短く吠えた。

 「音楽? ……よくわからない。ただ飼い主の声の高さや調子には敏感だ。低ければ叱責、高ければ喜び。私はそれに応じて心を揺らす。」

 人間が流す旋律を聴いても、犬は心拍や落ち着きの変化を示すにとどまる。旋律を意味や構造として追うのではなく、声色として感情を読み取るのだ。


 カラスがくちばしを鳴らし、冷ややかな声を放った。

 「歌う鳥たちはいる。私は歌わないが、彼らは歌に地域の違いを込める。方言のように。」

 その声に応じて、小さな鳴禽類の群れが仮想空間に呼び出された。スズメが短い節を繰り返し、コマドリが複雑なさえずりを披露する。リズム、旋律、変奏、即興――その構造はザトウクジラの歌と驚くほど似ていた。


 安藤博士は深く頷き、手元のデータパネルを開いた。

 「なるほど……ここには明確な分岐が見える。クジラと鳥は“音楽的構造”を生み出した。イルカは“言語的記号”を整えた。犬は“感情反応”にとどまる。」

 クジラは歌で群れを結び、鳥は歌で縄張りや求愛を伝える。だが両者とも旋律の変奏という芸術的な形式を持っている。イルカは情報を正確に伝えるが、旋律的ではない。犬は社会的に人間に同調するが、音楽そのものを楽しんではいない。


 イルカが抗議のようにホイッスルを立てた。

 「歌は意味を持たない。なぜ歌う必要がある?」

 クジラは重く応じる。

 「意味ではなく、感じさせるためだ。群れの心をそろえる。死者を悼む。子を安心させる。」

 チンパンジーが拳を鳴らし、低い声を加える。

 「私は歌えない。ただ叫ぶ。だが仲間は私の叫びで心を読む。」

 安藤博士は言葉を補った。

 「つまり音楽は“意味の伝達”ではなく“感情の同期”を担う。言語は誤信念や情報を伝えるために発達した。二つは重なり合いながらも異なる道を歩んだ。」


 Ωアーカイブが光を収束させ、仮想空間全体に問いを響かせた。

 「音楽と言語、どちらが先に生まれたのか。」


 静寂が訪れ、次に声を上げたのはカラスだった。

 「死の場に集まり、静止する。それは歌ではないが、感情を共有する儀式だ。意味より先に、感情があったのではないか。」

 博士も頷いた。

 「人間の子どももそうだ。言語を獲得する前に、リズムやイントネーションで母親と同期する。音楽的要素が先行するのだ。」


 イルカは不満げに鳴いた。

 「だが私は言語で世界を整理する。」

 クジラは歌い返した。

 「私は歌で世界を包む。」


 こうして仮想ホールには多様な音のかたちが響き渡った。

 クジラの重厚な旋律、イルカの鋭い符号、鳥の変奏、犬の吠え、チンパンジーの叫び、そして人間の言葉。

 それらは互いに異なりながらも、共通して「社会を結ぶための音」だった。


 Ωアーカイブが静かに告げる。

 「音楽は感情の海、言語は意味の地図。あなた方は二つの器をどう使い分けるのか。」


 その問いは、次なる章――「言葉の重さ、子どもの軌跡」へと導かれていく。


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