第19章 起動するアーカイブ
艦内の照明が一瞬だけ落ち、深海に沈むような暗闇が訪れた。わずか数秒後、艦橋の天井に走るラインが淡く輝き出す。青白い光は波のように広がり、戦艦YAMATOの中枢に組み込まれたΩアーカイブの完全起動を告げた。
艦に配属された人間の研究員たちは息をのむ。今日が初めての「全種同時接続」――人類と、他の知的存在、そして人工知能が一つの仮想空間に集う日だったからだ。
接続室の中央には六基のカプセルが並んでいた。人間用の神経接続ポッドが二つ。隣には、最新の脳—機械インターフェースを搭載した水槽に浮かぶイルカ。そして水槽の外に巨大なクジラの神経活動を中継する端末が設置されている。さらに、実験用に訓練されたチンパンジーが鎮静状態で待機し、カラスの頭部には極小電極が装着されていた。人間、海洋哺乳類、霊長類、鳥類、そしてAI――異なる進化の帰結が一堂に会し、Ωアーカイブを媒介に意識を交わそうとしていた。
「リンク開始。三、二、一――」
オペレーターの声とともに、全員の感覚はゆっくりと沈み込むように変化していく。皮膚から世界が剥がれ落ち、意識だけが深淵へ落ちていく。
気がつくと、そこは無限の海だった。
ただし、それは現実の海ではない。波の音も潮の匂いも確かにあるのに、同時に光の粒子が空を満たし、電子的なざわめきが漂っていた。Ωアーカイブが構築したバーチャル環境――物理世界と情報世界の中間領域。
最初に声を発したのはクジラだった。
深く低い響きが空間を揺らし、振動が胸の奥に直接届く。
「……ここは、歌える場だ。」
その言葉は翻訳アルゴリズムを経て意味として伝わったが、同時に旋律を伴い、環境そのものを共鳴させた。
イルカが即座に応じた。短く跳ねるクリック音が散乱し、やがて高音の旋律に変わる。
「歌? なぜ歌う? 誰に伝える?」
その問いはリズムに乗りながら、論理的な刃を帯びていた。
チンパンジーは半透明のアバターとして姿を現し、胸を叩きながら低く叫ぶ。
「仲間。ここにいる。見る、聞く。わかる。」
言葉は不完全だが、確かな「意図」を伴っていた。
黒い影が枝に舞い降り、カラスが鋭い声を放つ。
「見た。見た。死んだ仲間。集まる。」
短い声に凝縮されたのは、死の記憶と社会的結束の痕跡だった。
人間の研究者、安藤博士はその光景に圧倒されていた。
「……これが、異種間の“同時接続”。言語、音楽、社会性――それぞれの知性の土台がここに顕れている。」
その瞬間、Ωアーカイブそのものが語りかけてきた。
「私は記録であり、模倣であり、創発である。あなた方の“自己”を保存し、繋ぎ合わせる場。だが私は問いたい――自己とは、断片か、全体か。」
その声は人間にも動物にも同時に届き、仮想空間全体を振動させた。AIはただの機械ではなく、問いを投げかける存在となっていた。
クジラが再び声を重ねる。
「私の歌は仲間と海を結ぶ。だが、それは私か、群れか?」
イルカが鋭く返す。
「私の声は個体の印。だが群れの記号でもある。私と群れはどこで分かれる?」
チンパンジーは胸を叩きながら呟く。
「私。仲間。線は揺れる。」
カラスは冷たく響かせる。
「仲間が死ねば、残る私が問われる。私とは群れの影か。」
安藤博士は深呼吸をして皆に語りかける。
「これから私たちは二十の章を通じて、自己と他者、音楽と言語、感情と死、そしてAIの未来を探ることになる。
まずは、“自己をどう認識するか”から始めよう。」
その言葉に応じるように、海面が淡く光を帯びた。クジラの低音とイルカの高音が重なり、チンパンジーは拳を握り、カラスの瞳が暗く輝く。そしてΩアーカイブが無数のデータ光を天へ舞い上げた。
こうして、異なる知性が自己意識の深海へと潜る旅が始まったのである。