第17章 《グローバル化と武士の残響》
榊原義真の視界に浮かんだのは、煌びやかな東京の街並みだった。
1990年代、バブル経済の爛熟と崩壊。その余韻を抱えた都市は、無数のネオンと巨大スクリーンに覆われ、世界中の情報が一瞬で流れ込んでいた。サラリーマンは株価を追い、若者は海外ブランドに群がり、インターネットの端緒が街を結び始めていた。
榊原は、ひとりの証券会社員の身体を追体験した。朝から晩までディーリングルームで数字を追い、外国市場の動きを刻々と監視する。戦国時代の合戦図と何ら変わらぬ「陣立て」が、いまや株価チャートとモニターに姿を変えていた。
「勝てば利益。負ければ組織を失う。」
武士の旗印は消えても、その緊張感は市場に生きていた。
しかし、バブルが崩壊すると景色は一変する。榊原は中小企業の経営者の姿を体感した。資金繰りに奔走し、銀行に頭を下げ、社員を守るために自らの家を手放す。
「家を守るために身を削る」
それは戦国で家の存続に命を賭けた祖先の姿と重なった。だが今は刀ではなく、印鑑と帳簿がその武器だった。
記録はさらに流れ、2001年9月11日。榊原はニューヨークの街角にいた。青空を裂いて突き刺さる航空機、崩れ落ちる高層ビル。群衆の悲鳴と粉塵。――テロという新しい戦場が、世界を震撼させた。
その余波は日本にも押し寄せた。自衛隊が初めて海外派遣に踏み出し、武士の「血」は国際治安活動という名の下に姿を現した。榊原は砂漠の地で迷彩服を着た自衛官の目を通した。銃を手にしながら撃つことを許されず、給水活動や道路補修に従事する。
「武士ではない。だが守るために立つ。」
その矛盾の中に、血脈の残響がかすかに響いていた。
国内では新自由主義の波が押し寄せた。榊原は派遣労働者の視点を体験した。契約の更新に怯え、低賃金で働き、組織に忠義を尽くす余裕もない。血脈の残響は、ここではほとんど聞こえなかった。むしろ「忠義」を求める場を失った人々の沈黙が、時代の影を濃くしていた。
一方で、文化の中では奇妙な形で武士の残響が蘇っていた。時代劇のテレビ放送、漫画やゲームに登場するサムライ像。海外の若者が「SAMURAI」を憧れの言葉として口にする。榊原は映画館のスクリーンで刀を振るう架空の武士を見上げた。そこにあるのは現実ではなく虚構だ。だが虚構が現実を超えて記憶を継承する――それもまた残響の一つだった。
時代はさらに進み、東日本大震災が日本を襲う。榊原は被災地に立ち、がれきの中で必死に人命を救おうとする自衛官の姿を体感した。彼らは無言で瓦礫を掘り、遺体を担ぎ、被災者に寄り添う。そこには刀も戦もない。ただ「守る」という一点に血脈の声が宿っていた。
「ここにこそ、武士の残響は生きている」
榊原の胸に強い確信が生まれた。
AIの声が響く。
――「残響とは、もはや制度ではなく心です。武士の名は消えましたが、その記憶は文化と行動に残っています。」
榊原は都市の夜景を見下ろした。ネオンの光の中に、かすかに篝火の残像を見た。
「血脈の声は消えてはいない。時代を越え、残響として響き続けている。」
そして視界は再び揺れ、次の時代が彼を呼んでいた。グローバル化の次に訪れるのは、国家と国家が再び鋼鉄をぶつけ合う新世紀の戦争。その時、武士の残響はどのように響くのか――。