第14章 《世界大戦と武士の記憶》
轟音とともに榊原義真の視界が開けた。
そこは見知らぬ大陸の塹壕だった。雨に濡れ、泥に沈んだ足元。鉄兜をかぶった兵士たちが狭い壕に身を潜め、前線を見据えている。第一次世界大戦――ヨーロッパ戦線。榊原は驚愕した。これは日本の記録ではない。だが、大和のアーカイブは人類史を統合する装置となっていた。武士の血を持つ者として、彼は「世界の戦争」を追体験せねばならなかった。
榊原の手にはボルトアクション式の小銃が握られていた。泥と油に汚れた銃床、汗に濡れた手袋。前方の無人地帯では砲弾が炸裂し、地面がえぐられている。仲間が笛の合図で塹壕を飛び出す。銃声と砲声が交錯し、無数の命が数分で消えた。
「これは……武士の合戦ではない」
榊原の胸に重苦しい衝撃が広がった。ここには一騎打ちも名乗りもなく、ただ機械的に命が刈り取られていく光景があった。
次の瞬間、場面は変わる。
榊原は南洋の海上に立っていた。真珠湾攻撃の朝、甲板に整列する日本海軍の航空隊。鉢巻を締めた若い搭乗員たちが、静かに手を合わせる。
「天皇陛下万歳」
その声は戦国の「旗の下」と重なった。だが違う。ここでは家ではなく、国家の命が彼らを突き動かしている。榊原は零戦の操縦桿を握り、エンジンの震動を全身で感じた。
ハワイの空を翔け抜け、米艦隊の上に爆弾を投下する。爆炎が上がり、榊原の胸に歓喜と恐怖が同時に走った。戦国の一撃と似てはいる。だが、ここに名乗りはなかった。ただ「命令」と「忠義」だけが存在していた。
やがて戦局は逆転する。硫黄島。榊原は洞窟陣地に潜む兵士の視界を追体験した。米軍の艦砲射撃が地を揺らし、天井から砂が降る。兵士たちは黙して耐え、最後の突撃に備える。
「生きて虜囚の辱めを受けず」
その言葉が胸を焼いた。かつての武士が「討死」を名誉としたように、ここでも死が忠義の証とされた。だが、その死はもはや家を守るためではない。無機質な国家のために命を捧げること、それが「武士の記憶」の変質だった。
沖縄戦。榊原は壕に潜む住民の姿も追った。母が子を抱き、兵士と同じ空間で息を潜める。戦場の武士道は、ここでは民を巻き込み、悲劇を生んでいた。榊原の胸に重苦しい痛みが走る。
「これは武士の誇りではない……」
血脈が求める忠義は、いつしか無差別の死と混じり合ってしまった。
最後に、広島。閃光が街を呑み込み、熱が空を裂いた。榊原は目を閉じても閉じても、焼け爛れる皮膚と崩れる街を見た。武士の刀でも鉄砲でもなく、ひとつの爆弾が都市を消し去った。
その瞬間、彼は悟った。――武士の記憶はここで断たれたのだ。個の忠義も家の誇りも、総力戦と科学兵器の前では意味を失った。
暗闇の中でAIが囁いた。
「しかし、記憶は消えません。あなたの血の中に、まだ残っている。」
榊原は膝をついた。
戦国で叫ばれた名乗り、鎌倉での奉公、江戸での沈黙、幕末での挫折、そして世界大戦での断絶。すべてが血脈を通じて彼の中に流れていた。
「武士は死んだ。だが記憶は生きている。」
やがて視界の彼方に、戦後の瓦礫の街が浮かんだ。敗戦国の中で再び立ち上がる人々。武士の名はもはや存在しない。だが新たな形で記憶は受け継がれる。榊原は次の時代へと歩を進めた。