第10章 《江戸の泰平》
榊原義真の意識が再び光に包まれ、目を開いた時、そこに広がっていたのは戦場ではなかった。
広大な江戸の城下町。碁盤の目のように整備された街路、白壁の蔵、瓦屋根の町屋、橋のたもとに賑わう市。行き交う人々のざわめきは活気に満ち、戦国の混沌とはまるで別世界だった。
榊原は往来を歩いた。武士たちが刀を腰に差して通り過ぎる。しかし、その刀が抜かれる気配はない。彼らは戦う者ではなく、秩序を示す「象徴」としてそこにいた。背筋を伸ばし、歩き方に威厳を込める。それが泰平の世の武士の務めだった。
記録は、ある藩士の屋敷へ榊原を導いた。屋敷の一室では、藩士が帳面に向かい、年貢の収支を計算している。隣では子供たちが寺子屋から持ち帰った習字を読み上げ、妻は針仕事をしている。戦の影はどこにもない。刀は床の間に飾られ、家の格式を示す道具となっていた。榊原はその光景に戸惑った。――血を賭して戦ってきた武士が、いまや文机に向かい、秩序の役人として生きている。
日常は平和そのものだった。朝は太鼓で始まり、城下には魚売りや野菜売りの声が響く。芝居小屋では歌舞伎が上演され、町人たちが集まって熱狂している。武士たちは表向きその賑わいから距離を置いていたが、実際には密かに芝居を観に行く者も多かった。榊原は客席に座り、舞台を眺めた。義理と人情を描く芝居の筋に、人々が涙を流し笑い合う。――それはかつて戦場で命を賭した「忠義」とは違うが、同じ人間の情を描いていた。
一方で、武士の矛盾もまた榊原に突きつけられた。
ある藩の藩士が、扶持米の減少に苦しみ、借財に追われていた。武士でありながら米屋に頭を下げ、町人から金を借りる。面目を失ったその姿は、かつての「戦場の主役」とは遠くかけ離れていた。
「刀は身分の象徴にすぎず、食を得るための力にはならない」
榊原の胸に、深い違和が生まれた。血の記憶は戦場を求めるのに、泰平の世はそれを許さない。
さらに記録は彼を江戸城の大広間へと導いた。将軍の前に大名が列をなし、静寂の中で礼を尽くす。声を荒げる者は一人もいない。ここでは武力ではなく礼法と格式が力を決める。榊原はその張り詰めた空気を肌で感じた。戦場では矢や刀が人を屈服させたが、ここでは沈黙と一礼が全てを決めるのだ。
町に戻ると、火消しが走っていた。江戸は火事の多い街。町火消の纏が夜空に舞い、鳶が梯子を駆け上がる。武士ではなく町人たちが火事場を仕切り、人々の命を守っていた。榊原はそこで、社会の主役が武士から町人へと移りつつある兆しを感じた。秩序を守る者としての武士はまだ存在するが、その実際の力は町人社会の中に溶け込んでいたのだ。
榊原は一人の下級藩士の暮らしも追体験した。毎日の仕事は藩の書状の写し、奉行所での取り調べ、あるいは町奉行と共に治安維持の巡察。刀を帯びてはいるが、抜く場面はない。時折、無頼の者を捕らえることはあったが、それも木刀や素手で済むことが多い。武士は「武を使わぬ武士」として日々を送っていた。
「戦うために生まれた血が、戦わぬための秩序に従う」
榊原はその矛盾を噛みしめた。血の記憶が求めるものと、制度が命じるものの乖離。それでも祖先たちは、泰平の世に生き延びるためにその矛盾を受け入れたのだ。
やがて視界が揺れ、榊原は江戸の終焉を垣間見る。黒船の影、異国の砲艦、揺らぐ幕府の権威。泰平の矛盾はついに限界を迎え、武士が再び刀を抜く時代が迫っていた。
大和のAIが静かに囁く。
――「泰平は矛盾を孕みます。武士の血は抑え込まれ、しかし失われはしませんでした。」
榊原は深く頷いた。泰平の記憶は安堵と矛盾の両方を刻みつけ、次の嵐の前触れを彼に伝えていた。