第7章 《鎌倉の規律》
榊原義真の意識に、乾いた砂の白さが差し込んだ。視界の先に広がっていたのは、都の雅ではなく、質素な町並みだった。木柵に囲まれた屋敷群、白砂を敷き詰めた大路、低い屋根が連なり、どこか簡素で、しかし引き締まった空気が漂っていた。――鎌倉。源頼朝が幕府を開いた都市である。
榊原はその大路を歩いていた。左右には御家人たちの屋敷が並び、門には槍が立てられ、馬がつながれている。出入りする武士たちは皆、短刀を帯び、腰に矢筒を差していた。京都の公家とは違う、粗削りな力強さがあった。
やがて一軒の屋敷に入ると、広間で評定が行われていた。
「この度の戦で功を挙げた者に、頼朝公より新たな地を与える」
下知状を読み上げる役人の声。御家人たちが頭を垂れ、緊張が走る。戦場での首級の数、敵陣を崩した働き――その功が仔細に読み上げられ、それに応じて「恩賞地」が授けられる。
榊原は膝をつき、その場にいる武士の心を感じ取った。
「戦いは命を賭ける。だが、命を賭けた者には地を与える」
この単純にして厳しい約束――御恩と奉公。ここに武士の規律が制度として形を持ったのだ。
記録はさらに深く彼を引き込む。
ある御家人の屋敷。囲炉裏の火を囲み、家族が食を分け合っている。武士の妻は弓の弦を撚り直し、子供は木刀で遊ぶ。外では使用人が馬の世話をし、畑では作物が育っている。戦場だけでなく、日常すべてが「家」を基盤に築かれていることを榊原は実感する。
「戦は家のために。家は地のために。地は主君のために」
この三重の連鎖が、武士を武士たらしめていた。
翌朝。鎌倉の浜辺で流鏑馬が行われていた。砂を蹴る馬、的を射抜く矢。見物する人々の声が上がる。的を外せば嘲笑、的を射抜けば歓声。その場に立つ武士の子は、己の一射が家の名を背負っていることを知っていた。榊原もまた弓を引き、的に矢を放つ感覚を追体験する。矢が的に突き刺さる乾いた音。家の誉れが音になって広がるのを、全身で感じた。
しかし、秩序は常に揺らぐ。
評定の席にて、ある御家人が不満を述べる。
「我が功は正当に評価されていない!」
別の武士が応じ、声が荒くなる。刀の柄に手が伸びる。だがその瞬間、評定の上座に控えた侍所の別当が冷たく言い放つ。
「刀はここでは抜かぬ。抜けば、家も地も失うぞ。」
沈黙が広間を支配した。武士たちは互いに睨みながらも手を離し、再び頭を下げた。榊原は息を呑む。刀を持ちながら抜かぬ、その抑制こそが規律であると。
また、彼は鎌倉の街道を旅する御家人の姿を見た。馬に跨り、従者を連れ、途中の宿場で休む。道中で年貢を運ぶ農民の列とすれ違う。武士は農民に手を上げず、年貢を無事に主君へ届けることを優先する。武力は抑制され、制度のために使われる。そこに榊原は「武の統御」を感じ取った。
記録はさらに深まり、元寇の影が差す。博多湾に防塁が築かれ、御家人たちが鍬を振るう。戦のための備えが、武士の規律をさらに強化していく。武は個の名誉だけではなく、「共同の盾」となるべきものへと変わろうとしていた。
榊原は深く息を吐いた。
――血と名の戦場から、地と家を基盤とした秩序へ。
源平の血の奔流が鎌倉で形を整え、「武士」という制度を確立した。その歴史の中に、自分の祖先もまた生きていたのだ。
大和のAIが静かに囁く。
「規律は血を統御する。ここに、武士の秩序が完成します。」
榊原は目を閉じ、再び次の時代へと身を委ねた。彼の前に浮かぶのは、戦国の気配。規律が崩れ、再び血が奔流となる時代が待ち構えている。