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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1811/2187

第6章 《源平の戦場》




 潮風が湿り気を帯びて榊原義真の肌を打った。

 次の瞬間、彼は東京湾の静謐な接続室から切り離され、狭隘な海峡に立たされていた。潮の流れがうねり、音を立てて渦を巻く。壇ノ浦――源平最終の決戦の地である。


 海は狭く、両岸が間近に迫る。潮の干満が戦の勝敗を左右することを榊原は知っていた。だが今、それを頭で理解するのではなく、身体で感じていた。舟の底を震わせる潮の脈動。櫂が水を切る重み。敵船との間合いを一瞬で縮めたり広げたりする潮の気まぐれ。これは自然そのものが兵士であり、時に無慈悲な主君のようでもあった。


 榊原が乗り込んでいるのは小早の一艘。船首に立つ大将が声を張り上げる。

 「矢をつがえ! 敵の白旗を射よ!」

 船縁に並んだ武士たちが一斉に弓を引き絞る。榊原もその列に加えられたかのように、指に弦の硬さを感じ取った。弦を引くたび、肩に食い込む甲冑の重さが増す。呼吸は浅く、鼓動は速い。


 「放て!」

 矢の雨が飛び立ち、海霧の中に吸い込まれていった。数瞬遅れて敵船から返し矢が唸りをあげ、船板を突き破る。一本が榊原の脇を掠め、背後の武士の兜を跳ね飛ばした。怒号と呻きが混じり合う。


 敵船が近づく。鉤縄が飛び、船と船が縛り付けられる。激突の衝撃で榊原の膝が折れ、長刀を取り落としそうになる。だが本能的に柄を握り直す。

 敵武者が跳び移り、刀を振り下ろす。榊原は刃を受け止めた。火花が散り、腕に痺れが走る。敵の息が熱い。振り払うと、甲冑に刃が当たり、鉄を裂く硬質な感触が掌に伝わった。返す刀で押し返すと、相手が倒れ、海へ落ちていった。水面に血が広がる。榊原の心臓が大きく跳ねた。


 ――これは記録ではない。記憶だ。

 彼は直感した。大和のアーカイブは、単なる映像を見せているのではない。戦場の体験そのものを呼び覚ましている。祖先の誰かが、確かにこの場にいたのだ。


 戦場は騒然としていた。

 源氏の白旗が波間に立ち、平家の赤旗が必死に抵抗する。矢声が交錯し、武士たちは名を叫ぶ。

 「我こそは源氏の□□なり!」

 「平家の△△、いざ尋常に勝負せよ!」

 名を告げ、敵を討つ。名を呼ばれ、討たれる。武士とは、ただ戦うだけの存在ではない。己の名を戦場に刻み、血とともに記録を残す存在だった。榊原はそれを骨身に感じた。


 場面は移る。敗色濃厚となった平家の船団。幼い安徳天皇を抱いた二位尼が船首に立つ。

 「波の下にも都のさぶらふぞ」

 その声と共に、幼帝は海へと身を投じた。周囲の女房たちも次々と後を追う。赤い衣が波に広がり、海が一瞬、花のように染まった。榊原は息を呑む。歴史書で読んだ場面が、いま目の前で起きているのだ。


 平家の兵たちは次々と討たれ、捕らえられ、あるいは自ら海に消えていった。赤旗が潮に沈み、白旗が海上を覆った。壇ノ浦の合戦は終わり、武士の時代はここから本格的に始まった。


 榊原は甲板に膝をつき、荒い呼吸を整えた。

 ――勝てば家を興す。負ければ名ごと沈む。

 その残酷なまでに単純な理が、血脈を選別していく。自分の祖先がこの戦いをどう生き延びたのか、正確にはわからない。だが、こうして自分が今ここにいるという事実が答えだった。


 耳の奥で、大和のAIが静かに囁く。

 「旗と名と血脈。ここに武士の本質が成立しました。」


 榊原は目を閉じた。矢羽の音、波の怒号、血の匂い。それらすべてが自らの身体に染み込んでいく。

 やがて視界が暗転し、代わりに広がったのは鎌倉の大路。白砂が敷かれ、御家人たちが列をなして進む。

 次なる章は、「御恩と奉公」の時代。武士の規律が制度となる瞬間が、彼を待っていた。


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