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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン14
1808/2200

第3章 《弥生の稲作》




 目を開いたとき、榊原義真の視界に広がっていたのは、東京湾の灰色の水面でも、艦内の冷たい白壁でもなかった。

 足元は柔らかい泥。水の張られた小さな区画がいくつも連なり、朝日を受けて鏡のように光っている。畦道の上には素焼きの壺が置かれ、近くでは木の桶を担いだ男たちが低く掛け声をあげていた。


 ――弥生時代の村。


 大和のアーカイブは彼を、約二千年前の列島に連れ込んでいた。

 人々は腰に麻布を巻き、裸足で田に入り、稲の苗を一本ずつ植えている。背中は逞しく、肌は日焼けして黒光りしている。女たちは水路の泥をさらい、子供たちは竹籠を運びながら歌っている。

 作業は遅々としているが、不思議な秩序があった。声を掛け合うことで誰もが自分の位置を守り、乱れぬ動きを繰り返している。榊原は、武士の軍列に似たものを直感した。


 「水を流せ!」

 声が響き、若者たちが堰を操作する。竹で組んだ水門を上げ下げし、田へ水を導く。泥水が勢いよく流れ込み、苗の根を優しく撫でていく。水が多すぎれば稲は腐る。少なければ枯れる。生死を決めるその瞬間、集落全員の眼が堰の動きに注がれていた。

 榊原は思う――これは単なる農耕ではない。水を制する者が命を制する。やがて土地と水を守ることが「戦い」と結びついていくのだ。


 場面が揺らぎ、夜の集会に移った。松明が焚かれ、男たちが円陣を組んでいる。隣村との水争いが起こったらしい。堰を巡り、互いに譲らぬ衝突が続いている。

 「我らの田を守れ!」

 長の声に応じ、若者たちが木槍や石を手にする。女や子供たちは背後で祈りの歌を唱える。火焔土器に残る粥を神に捧げる仕草は、縄文から続く儀式の名残だ。


 次の瞬間、榊原は戦いのただ中に投げ込まれた。

 泥を蹴り、相手の若者と槍を押し合う。竹槍が軋み、腕に衝撃が走る。相手の息が顔にかかり、石が頭上を掠めた。血が飛び散り、叫び声が夜に響く。

 榊原は胸の奥で震えを感じた。――これは確かに戦だ。まだ甲冑も刀も存在しない。だが、この必死さ、この緊張、この「守るために戦う」という感覚こそが、後の武士へと受け継がれるものに違いない。


 やがて夜明けが訪れる。

 戦で倒れた者の遺体が村の外れに運ばれ、赤い顔料で彩られ、慎重に埋葬される。仲間たちが涙を流し、長が祈詞を唱える。

 「水を守りし者よ、祖霊となり我らを見守れ」

 榊原の胸に熱いものがこみ上げる。死を悼み、死者を敬う儀礼――これもまた、武士道の萌芽だ。忠と礼はここから芽吹いていた。


 記録がさらに深く彼を巻き込む。

 榊原は村の家屋の中に立ち会った。木と土壁で作られた竪穴住居。炉が中央にあり、火が赤く燃えている。壁際には石包丁、骨角器、弓矢。人々は互いに分業し、食を分け、子を育てる。外の世界は不安定でも、内には秩序が息づいていた。

 その秩序を守るために戦う――榊原は武士の精神の根源をそこに感じ取った。


 さらに未来を示唆する断片が映し出される。

 鉄器を携えた異郷の集団が海を越えて現れる。新しい力が列島に流れ込む兆し。豪族の時代、そして古墳の築造が近づいている。榊原の意識はその方向へと引き寄せられていく。


 だが彼は振り返り、稲田に立つ人々の姿をもう一度見た。

 列を保ち、声を掛け合い、水と土を守り抜く。

 「ここに、我らの始まりがある」

 榊原は心の中で呟いた。


 次の瞬間、彼の視界は大地に築かれた巨大な墳丘へと転じる。埴輪が立ち並び、鉄剣がきらめく。

 ――古墳と豪族。武の系譜が、より明確な形を帯び始める時代が、彼を待っていた。


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