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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1793/2364

第131章 《二足歩行と感染圧》



 ジュネーブの会議棟。金属光沢の壁面に囲まれた円卓の中央で、ホログラムの大腿骨がゆっくり回転していた。

 古人類学者の川原が前に立ち、レーザーポインタで寛骨臼の角度、大腿骨頸部のねじれ、膝の外反バルガス、そして足のアーチを次々に示していく。


 「直立二足歩行は、移動効率や放熱だけで説明するには不十分です」川原は切り出した。

 「もちろん、草原での長距離移動や日射を受ける体表の縮小、走行時の弾性利用などは有力です。しかし、もう一つ“感染圧”という変数を入れる必要がある」


 免疫学者のターブが眉をひそめた。

 「直立と感染? どうつながる?」


 川原はホログラムを切り替える。足の裏の接地面と、手の解放を示す図が並ぶ。

 「地面に接する面積が減れば、土壌病原体に触れる機会は減る。アーチ構造ができれば、足裏からの病原体侵入経路は限定される。逆に手が自由になったことで、異物回避や道具による防御が可能になった。つまり、直立は“病原体との付き合い方”を変えたんです」


 今度はスクリーンに、屠殺や骨髄抽出の痕跡が映し出される。

 ターブが頷いた。

 「肉を扱うようになれば、ヘルペスやレトロウイルスが動物から人間に移る機会は確実に増える。さらに集団で生活し、採餌のルートが固定化されれば、接触頻度は急増し、水平伝搬が加速する。実際、HLA遺伝子の多様化はこの時期に強く進んだ痕跡がある」


 進化遺伝学者の北折が合図を送ると、ERV(内在性レトロウイルス)の挿入イベント頻度が時代軸上に投影された。

 「ウイルスのゲノム挿入は頻繁に起きますが、固定されるのはごく一部です」北折が解説する。

 「しかし固定したときの影響は大きい。たとえば胎盤形成に必須の“シンシチン”は、ERV由来の遺伝子です。胎盤は母体と胎児の免疫境界。直立がもたらした産道の狭窄と、脳容量拡大が同時に進んだ結果、“産科ジレンマ”が生じ、妊娠免疫はより精緻に進化せざるを得なかった。その過程に、ウイルスの遺伝子が再利用された可能性は高い」


 そこへAI〈Ω〉が割り込む。

 「補足:直立化により視野が地平線に届くようになり、腐肉を遠方から発見できる確率が増大した。腐肉摂取率の上昇は腸内ウイルス叢の再編を促し、免疫系の恒常的な基礎活性の閾値を押し上げた。これが発熱やサイトカイン応答の制御回路に選択圧を与えた可能性がある」


 WHO の公衆衛生顧問が整理するように言った。

 「要するに——直立は感染経路のプロファイルを変え、集団行動は伝播ネットワークを強化し、ウイルス遺伝子は妊娠免疫に再利用された。二足歩行は“姿勢の進化”であると同時に、“感染との共進化”でもあった、ということですね」


 川原は頷いた。

 「さらに走りの要素が加わります。持久走仮説は、走行中の体温上昇や呼吸パターンがウイルス複製に干渉しうることを示唆します。発汗と放熱能力は発熱の幅を広げ、感染と活動のバランスを調整した可能性がある。これは保育協同や採餌協力の安定化にもつながった」


 北折が小声で付け足す。

 「言語や儀礼も無関係ではない。合唱は飛沫を増やし、埋葬は病原体処理の規範を形成した。文化は感染を増幅も制御もする」


 スクリーンに火星標本のPNA様骨格が重ね表示される。ターブが顔をしかめた。

 「問題は、火星のそれがヒト免疫に認識されないかもしれないこと。MHCに載らなければ、獲得免疫は盲目のままになる」


 〈Ω〉が応じた。

 「ヒト免疫系は地球型ウイルスで“学習”してきた。非地球型の準ウイルスに対しては、物理的封じ込めと機能阻害しか有効策はない。抗原を定義できない対象にワクチンは無力」


 国連代表が重く結んだ。

 「直立と感染圧の関係を政策に落とし込み、我々のネットワークがどれほど脆弱かを認識しなければならない。火星からの曝露は、その設計の想定外だ」


 川原は最後に、砂丘に刻まれた古代の足跡写真を映した。

 「足跡は“どこへ”だけでなく、“誰と共に”を示す。二足歩行は社会と不可分で、社会は感染と不可分。そして感染は進化と不可分です。その連鎖の上に、私たちは立っている」


 〈Ω〉が静かに結語した。

 「観測:直立はウイルスの通り道の形状を変えた。火星標本は通り道そのものを再設計する潜在性を持つ」


 会議室に沈黙が落ちた。直立という最古の決断が、現代の危機管理と一本の線でつながった瞬間だった。


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