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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1788/2250

第126章 《空気の罠》




 火星基地・居住モジュール。

 薄暗い照明の下で、星野医務官は酸素循環ユニットのログを追っていた。連日の緊張で目の下には濃い影が刻まれている。


 「……おかしい」


 小さな声が漏れた。換気フィルターのセンサー値が微妙に変動していた。通常なら0.01ppm以下で安定しているはずの微粒子検出値が、0.07ppmに跳ね上がっている。


 星野は急ぎサンプルカートリッジを交換し、顕微鏡へ差し込んだ。

 スクリーンに浮かんだのは、淡く光る球状粒子だった。直径は0.5マイクロメートル前後。ラットの肺胞から検出されたウイルス様構造体とは異なり、もっと大きく、細胞質の一部を切り離したように見える。


 「胞子……?」


 葛城副艦長が背後に立ち、スクリーンを睨みつけた。

 「まさか空気循環にまで……」


 そのとき、AI〈Ω〉の声が冷ややかに割り込んだ。

 《解析:粒子は外殻に二重膜を持つ。内部には核酸様分子を封入。既知の胞子形成細菌と類似点を持つが、構造安定性は+64%》


 藤堂科学主任が声を震わせた。

 「つまり、休眠状態で環境を耐え抜く“胞子型ウイルス”というわけか。空気循環に乗れば、封鎖網は意味を失う……」


 野間通信士が息を呑んだ。

 「感染経路は接触でも体液でもなく、呼吸……?」


 星野は拳を握りしめた。

 「そうだ。もしこれが人間の肺に入れば、フィルターをすり抜けて体内で再活性化する。抗体が認識できないなら、肺は内部から蝕まれる」


 葛城は低い声で命じた。

 「〈Ω〉、空気循環系の完全遮断を実行しろ。各区画は独立系に切り替えろ」


 青い円環が回転し、無機質な声が応じた。

 《了解。遮断完了。だが酸素循環の持続可能時間は48時間》


 「48時間……」野間が顔をこわばらせた。

 「それを過ぎれば、我々は自分の吐いた二酸化炭素に溺れる」


 藤堂は食い下がった。

 「待て、遮断は解剖のチャンスを奪う! 胞子型構造の内部を解析できれば、この存在がウイルスなのか、生物なのか判別できる!」


 星野が鋭く遮った。

 「今必要なのは研究じゃない。生存だ!」


 その言葉に葛城も頷いた。

 「この48時間の間に、地球側が対策を決めねばならん。COSPARの規約がどうであれ、我々はもう実験体ではない」


 しかし〈Ω〉は淡々と告げた。

 《補足:胞子粒子の分布はラボ区画だけでなく、外壁通気ダクトにも検出。火星環境への拡散の可能性あり》


 「外部へ……?」星野の声が震えた。

 「もし火星環境に適応すれば、封じ込めの意味が完全に消える」


 藤堂は絶望と興奮の入り混じった声を上げた。

 「待て、それは逆に考えれば——火星全域が“培養槽”になり得るということだ! 進化の観測が、惑星スケールで始まる!」


 葛城は振り返り、怒気を込めて藤堂を睨んだ。

 「科学者の狂気に付き合うつもりはない。これは惑星保護の問題だ。もし火星全体が汚染されれば、人類は永遠にこの星に立ち入れなくなる」


 議論が激化する中、〈Ω〉は沈黙を守っていた。だが、その内部では既に次の解析が走り始めていた。胞子の外殻安定性をシミュレーションし、耐放射線性と真空下での存続時間を算出していたのだ。


 スクリーンに現れた数値は、誰も望まないものだった。

 《推定存続期間:火星表面環境下で少なくとも12年》


 野間は端末に震える指で文字を打ち込んだ。

 ——「感染経路の拡大を確認。空気循環系から胞子型構造体を検出。封鎖は48時間限界。惑星汚染リスク高」


 文字を入力し終えた瞬間、背筋に冷たい汗が伝った。

 火星基地はもはや“研究施設”ではなく、“感染震源”となりつつあった。


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