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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン13
1775/2206

第112章 循環の確立



 隔離ラボの照明は落とされ、モニタの光だけが隊員たちの顔を青白く照らしていた。ディッキンソニア片から伸びた複数の突起は、すでに関節状の屈曲を繰り返していた。その動きは、前夜よりさらに明瞭で、まるで歩行の予行演習のように波が伝わっていた。


 だが、その日最大の異変は突起の外形ではなかった。蛍光トレーサーを極微量注入した瞬間、その粒子が突起内部に入り込み、拍動に合わせて流れているのが確認されたのだ。


 「……流れている。確かに、流れがある」

 野間通信士が声を震わせる。


 顕微鏡映像では、突起の基部が収縮するたびにトレーサーの粒子が押し出され、屈曲部を通過し、先端へと進んでいく。そして次の収縮で逆方向にわずかに戻る。まるで心臓の拍動に合わせて血液が循環するかのように。


 AI〈Ω〉が冷徹な声を放つ。

 《観測:流体移動速度 1.2マイクロメートル/秒。拍動周期22秒と同期。単純拡散モデルでは説明不能。能動的輸送機構と一致》


 藤堂科学主任は椅子から身を乗り出した。

 「やはり……! これは拡散ではなく、能動的な循環だ! 代謝ネットワークが完全に再構成されたんだ!」


 彼の声は抑えきれぬ熱を帯びていた。

 「単なる構造の模倣ではない。内側で物質を取り込み、分配し、排出する。これは生命活動の根幹そのものだ!」


 しかし、星野医務官は強い口調で遮った。

 「軽々しく“代謝”と呼ぶな!」


 彼女はモニタに表示された粒子の軌跡を指差した。

 「確かに流れている。だが、それが生物学的循環である保証はどこにもない。自己組織化したゲルや反応拡散系でも、拍動や流れは生じる」


 藤堂は食い下がる。

 「だが、これは拍動と同期している! 分岐網全体が同じリズムで動いているんだぞ!」


 星野は声を低め、鋭い視線を送った。

 「だからこそ危険だ。これは我々の理解する“代謝”ではなく、未知の自己組織化反応かもしれない。既存の生命科学の枠組みで分類すべきではない」


 突起内部の流れは次第に加速していった。拍動の強さが増し、トレーサーの粒子は節点から節点へと明確に移動していく。まるで毛細血管を通る赤血球のように。


 AI〈Ω〉がさらに解析を重ねる。

 《流路ネットワークの全長は平均1.3ミリメートル。節点間の輸送遅延は0.8秒。流体力学モデルにおけるポンプ機構に近似。単なる拡散では到達できない均一分布を達成》


 「ほら見ろ!」藤堂は声を荒げる。

 「拡散なら、濃度勾配に従って緩やかに広がるだけだ。だがこれは、節点を経由して等間隔で伝達されている。能動的循環の証拠だ!」


 星野は首を振る。

 「証拠にはならない。未知の鉱物マトリクスが化学的に自己駆動しているだけかもしれない。私たちが“代謝”と見なしている現象は、ただの錯覚だ」


 そのやり取りを横目に、野間は黙々と端末に記録を打ち込んでいた。

 ——「突起内部において蛍光トレーサーの一方向的輸送を確認。拍動に同期した循環様挙動。死骸の残響ではなく、明確なネットワーク機能の再稼働を示す」


 打ち込んだ指先は震えていた。目の前で繰り広げられている現象は、報告文に収めるにはあまりに大きな意味を孕んでいた。


 藤堂はなおも言葉を続けた。

 「これはもはや再現ではない。復活だ。数億年前に絶滅した系統が、火星の氷床の中で生き延び、再び動き出したんだ!」


 星野は冷徹に返す。

 「復活ではない。私たちが見ているのは、理解不能な自己組織化の産物だ。そこに“生”を読み込むのは人間の思い上がりだ」


 葛城副艦長は沈黙したまま映像を凝視していた。彼の中で、科学的興奮と軍人としての冷徹な危機意識がせめぎ合っているのは、誰の目にも明らかだった。


 突起はさらに動きを強め、まるで外界の空気を掴もうとするかのように蠢いていた。拍動に合わせて蛍光粒子がリズムを刻み、全体を巡る様子は、確かに“循環”と呼ぶにふさわしいものだった。


 AI〈Ω〉が最終的な判定を下す。

 《結論:観測対象は拡散から能動的循環へ移行。生命活動に類似。ただし分類は未定義》


 ラボに漂う緊張は極限に達していた。

 人類が火星で目撃しているのは、生命の復活か、それとも未知の自己組織化の幻影か。


 答えを出せる者は、まだ一人もいなかった。


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