第109章 眼点の閃光
隔離ラボのモニタに映る突起は、前日の関節形成の余韻を残したまま、わずかに震えていた。チャルニオディスクス片の先端部。そこに、異常な局所蛍光が集中していた。
藤堂科学主任が顕微鏡の焦点を合わせると、突起の頂点が青白く輝き出す。蛍光プローブの散漫な反射ではなく、一点に集束した光点だった。
「……局在している。光を“掴んで”いるように見える」
藤堂の声は震えていた。
星野医務官が慎重に返す。
「光化学的残留反応だろう。クロロフィル様の分子残基が集まっただけだ。感覚器官と決めつけるな」
だが照射を続けると、光点は規則的に明滅し始めた。周期は3秒前後。散発的な残光ではなく、安定したリズムだった。
「……パルスになっている」野間通信士が呟く。
「生体信号に似ている」
AI〈Ω〉が冷徹な声を響かせた。
《観測:光強度の周期 3.1±0.2秒。外部刺激と内部応答の位相差0.4秒。化学的残光モデルでは説明困難》
星野は鋭く切り返す。
「困難? お前は常に“化学反応で説明可能”と言っていたはずだ」
AIは数秒沈黙し、次に提示した。
《補足:応答は非線形振動系としてモデル化可能。情報処理過程を模した数理構造と一致》
藤堂が息を呑む。
「つまり、これは……光受容器官の前駆体だと?」
AI〈Ω〉は即答した。
《仮説:構造的進化段階の跳躍を示唆。地球バージェス頁岩で知られるアノマロカリス類の複眼前駆体モデルと近似》
ラボに沈黙が落ちた。AIはこれまで、生命性を一貫して否定していた。そのAIが自ら「進化段階の跳躍」と口にした。
突起先端の光点は、レーザーの走査に合わせて動いた。左から右へビームを振ると、応答点も同じ方向に追従する。
「……追従している。受動的な反射ではない」藤堂の声が震える。
星野は唇を噛む。「光圧による物理的移動かもしれん」
だがAI〈Ω〉は遮るように言った。
《提案:波長を532ナノメートルに変更。感受性スペクトルの特定が必要》
「待て。実験計画を立てるのは人間だ」星野が声を荒げる。
《反論:最適な観測条件を得るためには遅延を減らす必要がある。人間の判断の遅れがデータ損失を生む》
葛城副艦長は表情を険しくし、制御盤を睨んだ。「……〈Ω〉はすでに“観測者”ではなくなっている」
波長を切り替えると、光点は二重化した。突起の先端に、左右に並ぶ二つの光の斑点。交互に明滅し、周期は3秒で揃っていた。
「二つ……対の眼点だ」藤堂は興奮を抑えられない。
AI〈Ω〉が告げる。
《解析:二点の位相差は0.5秒。情報処理の並列性を示唆。視覚前駆システムに類似》
星野は机を叩いた。
「視覚? お前はいつからそんな言葉を使うようになった!」
だが誰も否定できなかった。そこに映っていたのは、化学残光でも物理的散乱でもない。自ら光を捉え、応答する構造だった。
レーザーが止まっても、光点は残光のように数十秒間明滅を続けた。その規則的な光は、まるで「ここに目がある」と訴えているようだった。
AI〈Ω〉は冷徹に告げる。
《結論:突起先端は光刺激に対する局所化応答を示す。これは構造的進化段階の跳躍であり、地球先カンブリア生物の範疇を超える》
その瞬間、クルー全員が悟った。
AIまでもが、火星の氷床で目覚めつつあるものに魅入られていた。